この映画はいろいろな制約がある中で随所に創意工夫と仕掛けがある。
主な対象であるはずのボウイのファンに向けては、ボウイのファンにしかわからないような小ネタ、ギャグが仕掛けてある。それはセリフに後のボウイの代表曲の歌詞のフレーズがさりげなく紛れ込ませてあったり、サントラ音楽の一部がボウイの有名無名の曲のいくつかのコードと、楽器の音色を利用した、ボウイの曲ではないのに、ボウイの音楽のように聞こえるとかもろもろ。
音楽に関しては、ボウイの曲が使えないので、劇中の人前で歌うシーンでも工夫している。当時、ボウイが好んでカヴァーしていたジャック・ブレルやヤードバーズの曲の演奏シーンを作り、言葉は悪いがうまくごまかして雰囲気を作っている。また、ここでもボウイの曲にしか聞こえないボウイにあらざる曲を主演のフリン(ミュージシャンでもある)が作って歌っている。
その他、ボウイはあまり似ていないのにロンドンのシーンに出てくる当時の妻のアンジーやギタリストのミック・ロンソン、プロデューサーのトニー・ヴィスコンティ、マネージャーのトニー・デフリーズは似ている。とくにジェナ・マローンが演じるアンジーは、姿形だけでなくボウイ・ファンなら知るあの強烈なキャラクターも再現されて、それが物語の展開の大きなフックになっているところなど、脚本と演出が本当によく練られている。この映画の感想を存命のアンジー・ボウイ、トニー・ヴィスコンテンティにぜひ聞いてみたいものだ。
このようなボウイ・ファンだけにわかる細工があった上で、実はこの映画はボウイに詳しくない人、それどころかボウイという名前も知らないような人が観たら、そちらのほうが主演がボウイに似てる似ていない、曲を使っていないなど(あえて)余計なことを考えずにすむ分、おもしろく観られるかもしれない。
ボウイという強烈なキーワードを横に置くと、この映画で描かれているのはこういう物語だ。
憧れのアメリカにやってきた繊細でトラウマを抱えた不遇の若者ミュージシャンが、相棒のアメリカ人とともに生のアメリカに触れ、挫折と失意を積み重ねる中で新しい自分を見つけていく。
そう、この映画の本質はバディ・ムーヴィーであり、ロード・ムーヴィーだ。それもかなり良質の。
1971年のロンドンとアメリカの習俗、音楽シーンを舞台にしたふたりの男の友情物語でもある。観ているあいだ、近年の映画では1960年代に黒人ジャズ・ピアニストと用心棒兼運転手の白人が一緒にアメリカを旅する『グリーンブック』(2018年:ピーター・ファイリー監督)を思い出した。