文=吉村栄一
映画『MINAMATA』は、ジョニー・デップが演じるアメリカの写真家ユージン・スミスを主役とした作品だ。
ユージン・スミスはアメリカの著名な報道雑誌『LIFE』を舞台に、戦場写真や硬派なドキュメンタリー写真で名を挙げた写真家。
そのユージン・スミスの晩年の代表作が写真集『MINAMATA』で、MINAMATAすなわち水俣市。熊本県水俣市で1950年代に発生した、日本の四大公害病である水俣病の患者たちを撮影した一冊だ(当時の配偶者であるアイリーン・美緒子・スミスとの共作)。
戦後日本の高度経済成長の輝きの裏には公害問題が闇として存在し続けた。
水俣病、イタイイタイ病、四日市喘息などをはじめ、日本の工業地帯とそれに隣接する一帯では公害は日常のものだった。
ユージン・スミスが水俣を訪れた、1971年
1966年生まれのぼくも、川崎市で育ち、工場からの排煙や煤煙は毎日の光景だった。4歳になった1970年、東京で初めて光化学スモッグが観測されて、両親は郷里である福井県への帰還を決断したほど。翌1971年には静岡県田子の浦のヘドロから生まれたヘドラという怪獣が敵役となった映画『ゴジラ対ヘドラ』が公開されるほど公害は日本人にとって身近な存在だった。その1971年こそユージン・スミスが水俣を訪れた年だ。
雑誌『LIFE』を主な舞台に活躍してきた巨匠写真家ユージン・スミスは、1971年に日系女性アイリーン・スプレイグ(後のアイリーン・美緒子・スミス)の依頼によって熊本県水俣市を訪れる。当地で水俣病に苦しむ人たちを取材・撮影してこの悲劇を世界に知らしめてほしいという依頼だ。
以降、ストーリーは水俣で公害企業の妨害にあいながら現地の人々と交流するスミスと、取材をバックアップする『LIFE』の編集長を相互に描きながら進行する。この編集長ロバート・“ボブ”・ヘイズを演じる英国の俳優ビル・ナイの熱演はすごい。オスカーの助演男優賞にノミネートされても不思議ではないぐらいだ。
もちろん、主演のジョニー・デップ、スミスの妻となるアイリーン・美緒子・スミスを演じる美波、公害企業社長の國村隼、水俣の人々役の真田広之、加瀬亮、浅野忠信、岩瀬晶子らすべての演者がよい。
脚本、演出も大胆だ。
ユージン・スミスと日本〜水俣とのかかわりに詳しい人なら首をかしげるシーンも確かにある。
複雑な史実を娯楽映画にまとめるために、時系列や事実、場所があるところでは細かく、あるところでは大きく変更されたり、カットされたりしている。
そう、重いテーマを描きながらもこの『MINAMATA』は圧倒的な娯楽映画なのだ。公害とその被害者、社会の不実を丁寧に描きながらも、ストーリーは明快でテンポもいい。ときにはスパイ映画のようなサスペンス・シーンがあり、人々がぶつかりあう動きの激しいモブ・シーンもある。
そしてラストの感動的なシーンまで、起承転結をはっきりとさせた観客を飽きさせない映画となった。
世界中の公害被害者へ寄り添う映画
水俣の悲劇を淡々と事実に則して描くというノンフィクション的な手法では届かない、拡がらない世界を意識してハリウッド作品らしい明快な作品になっているのだ。
だが、それは水俣病とその関係者を娯楽として消費するということではない。
この作品の音楽は坂本龍一が手掛けている。2019年の10月(この映画の音楽を作り始めた時期)にぼくが行ったインタビューから、コメントをふたつ紹介したい。
「水俣をテーマにした映画の音楽を依頼されたとき、これはぼくが絶対にやるべきだと思いました。経済や産業のためにひとつの地方が犠牲になり、その被害を政府と科学者がグルになって何十年も被害を隠蔽する。これはまさにいま日本の福島や世界中で起こっていることと同じ。水俣が抱えている問題はいまだに解決していない」
そして、アンドリュー・レヴィタス監督はじめ製作者がどれほど水俣に寄り添っているのかも訊ねた。
「水俣病の被害者はいまだ存命の方も多く、遺族もいっぱいいる。そういう人たちの気持ちに反する映画だと困るので、監督にはどれぐらい現地で調べて、地元の人の協力は得られているのかを根掘り葉掘り訊ね、その答えに納得して音楽を引き受けました」
坂本龍一による『MINAMATA』の音楽もまた、水俣の人々に寄り添うかのように美しい。サウンドトラック・アルバムは日本では映画公開前日の9月22日に発売の予定だ。
製作者や坂本龍一だけではない。主演であるジョニー・デップも英タイムズ紙のインタビュー(8月14日掲載)でこう語っている。
「この作品が水俣の人々を搾取するような映画にはしないと誓いました。この映画は水俣病に苦しんだ人たちに敬意を払った作品になっていると思います。この映画は水俣と、そして同じような状況にある人たちに影響を与えるでしょう」
映画の本編が終わり、エンド・クレジットになるとき、この『MINAMATA』という映画はただ日本の水俣病のみを描いた映画ではなく、その前の、その後の世界中の公害被害者への寄り添いとメッセージを込めた作品だということが明らかになる。
映画のクライマックスでの静謐で神々しいシーンと合わせ、観る人の心に深い余韻を残すだろう。
以下余談。
この映画の水俣のシーンの多くは東欧の港町で撮影されている。開発と発展によって、水俣市に往時の面影が残っていないという理由だが、日本人にとっては日本には見えないなあというところもある場所を強引に当時の日本の風景に変えてしまうのは、まさにハリウッドの底力だとも感じた。1970年代はじめの日本の地方都市に走っていたような自動車が背景になにげなく何台も置かれている。それらがヨーロッパ中から手配した本当の当時の日本車の実車なのか、CGなのか、それらしく見える外国車なのかはわからないけれど、予算のない日本映画をよく観る身としては、この1970年代のシーン、日本映画だったら背景にあるのは自動車ではなく自転車やスーパーカブどまりかもなあ、なんて映画を観ながらちょっと思ったりもした。
ともあれ、なによりも「おもしろい」映画だ。