認知症患者の視点で描かれたサスペンス!?
日本でも緊急事態宣言が9都道府県に出される中、5月14日より『ファーザー』が公開。認知症が進む父親をホプキンスが演じているが、なるほど納得のオスカー受賞だった。多くの批評家からも称されているが、確かに、ホプキンスの主演なくしては、本作は成り立たなかっただろう。主人公の名前もホプキンスと同じアンソニー。生年月日も1937年12月31日と、ホプキンスそのもののプロフィールが使われ、彼に当て書きされた作品であることがよく分かる。
本作はフローレン・ゼレールが2012年に発表し、世界30カ国で上演された戯曲「Le Père 父」を、ゼレール自身が脚色し映画化。これがゼレールにとって、監督デビュー作となった。アカデミー賞では主演男優賞ほか、脚色賞を受賞。認知症の父親の介護で疲弊していく娘を演じたオリヴィア・コールマンが、主演女優賞を獲得した『女王陛下のお気に入り』(18)に続き助演女優賞候補になったほか、作品賞、美術賞、編集賞も候補にあがった。
本作は認知症の父アンソニーの視点で描かれる。その断片的なエピソードから、アンソニーの記憶が徐々に失われていく過程が分かるのだが、その状況によって、部屋のレイアウト、様子が微妙に変わる。その居空間は長年住み慣れた家なのか、アンソニーが身を寄せている娘たちの家なのか、はたまた別の場所なのか……。アンソニーから見えている世界を視覚的に表現する美術、時空をランダムに組み替え演出する編集の素晴らしさ。オスカーを受賞してもおかしくはなかった、と思う。
物語はアンソニーの苛立ち、不安、恐怖が相まって、サスペンスフルに進んでいく。いったい何が真実なのか、観客も彼らがおかれている状況が分からないまま……。下手なサスペンス映画、スリラー映画よりも、はるかに緊迫した緊張感が持続する。
初のオスカー受賞となった『羊たちの沈黙』のレクター博士とは全く異なるキャラクターではあるが、表情だけで観客を緊張させるホプキンスの圧巻の演技は変わらない。現実と幻想の世界が交錯、その境界線が徐々に崩れていく過程が怖すぎる。まさに超高齢社会の現状下、現実的なホラーとして、受け止められる。
自分事として体感できる物語
「日本における認知症の高齢者人口の将来推計に関する研究」の推計によると、2020年の65歳以上の高齢者の認知症有病率は16・7%。約602万人と、6人に1人が認知症を患っていることが報告されている。この状況は世界も同様で、WHO(世界保健機関)によると、2015年の認知症有病者数は5000万人。毎年1000万人が認知症になっているとも。
個人的な話ではあるが、今年79歳になる私の母は健康で、会話のやりとりも普通にできるのだが、数秒前、数分前の記憶がきれいに飛んでしまう。何度も何度も同じ話を初めて話すかのように繰り返すため、こちらとしては不安になるし、苛立ちもする。診察を受けても、年相応の症状だと言われるのだが、絶対にそんなことはない。明らかに認知症の症状は進行している。
だが、本人は大丈夫だと、その心配を受け付けず、心配しすぎると機嫌が悪くなる。状況や症状の違いはあるが、娘アンの苛立ちと不安は、決して他人事ではない。その一方で、認知症を体感させる演出にも唸らされる。解決されることのない認知症状。じわじわと迫りくる恐怖もまた、将来の自分事のように思える。