藤原 それがちゃんとされていれば、フェイクニュースだらけの世の中においても、『文春』のお墨付きだったら信じてもいいかな、となるわけですから、大きな強みになりますよね。

新谷 昨年、東京高検検事長だった黒川弘務さんが、朝日や産経の記者と賭け麻雀をやっていたことを『文春』がスクープしましたが、その後朝日新聞社の『月刊Journalism』という雑誌が、どうすれば私たちは信頼を回復できますか?とインタビューしに来たんです。

 そこで私が強調したのは、賭け麻雀や取材源との距離の近さが問題なんじゃない。ディープなネタを取ったのに書かないことが問題なんだと。優先すべきは記事を書くことで、人間関係を維持することじゃないんです。その覚悟を持てるか持てないかが、プロかアマチュアかの違いなんだと。

 私だったら記者を麻雀に行かせて、「黒川検事長独占告白5時間」って、全部書きますよ。朝日新聞も社長直轄で、部署の垣根を超えた精鋭部隊をつくって、政権の調査報道を1年間地道にやり続ければ、風景が変わるのではないかと。

 『The New York Times』(※3)はその姿勢を貫くことでブランディングに成功して、デジタルシフトしても稼げているわけですから。大変僣越ながら、朝日はそこまでやる覚悟があるんですか?と言わせていただきました。

 

藤原 あれは世の中の人は、何に対して怒ってたんですかね? コロナ禍、賭け麻雀、癒着とかそのあたりが曖昧だったから、一般の人は「賭け麻雀していいのか!」なんて、くだらない揚げ足を取っているだけだったように思います。

新谷 うちに関して言うと、癒着がけしからんっていうトーンではなかったですね。むしろ『週刊文春』が目指すものって、人間への興味、好奇心ですから。だから、あんなに注目されている状況で、しかもコロナ禍で緊急事態宣言の最中に深夜2時まで賭け麻雀やっちゃう人だぜ、面白いよなって。

藤原 ちょっとチャーミングなイメージじゃないですか。

新谷 だから後を追ったメディア側、特に大手新聞の受け止め方が、私からすると一番違う方向に行きましたね。やっぱり取材源との癒着はダメだという話になりましたから。それってますます自縄自縛で、ディープな取材ができなくなります。

藤原 そんなことしたら、番記者の意味もなくなりますよね。

 

(※3)『The New York Times』――1851年創刊した、リベラルな論調で知られる新聞。ドナルド・トランプが大統領に就任した2016年から調査報道に力を入れることで、電子版の契約者数が激増

 

藤原ヒロシと『週刊文春』がコラボレート!?

──​ファッションとメディア。それぞれの分野におけるブランド論を伺ってきましたが、藤原さんはご自身そのもののブランディングは意識されてきたんですか?

藤原 全く戦略的ではなかったですけれど、結果的にうまくブランディングしてきたと思いますよ。自分でもそう思います。みんなと遊んでいても、ひとりで「じゃあ帰るね」みたいなことをしても、みんな「なんだよ」と思わずに、「ヒロシはああいう奴だから仕方ないな」っていう(笑)。

 そうだ、今度あれ出しません? 『文春・黒革の手帖』。

新谷 おお〜。本当に黒革でつくったら格好いいな。

藤原 リークがあったネタとか、追ったけどボツになったネタとかを全部書いて。2冊セットで無地のもあって。僕、それ持って芸能人と食事に行きますから(一同笑)。

新谷 藤原さんとコラボできたら素晴らしいですね。

 

パンクと任侠。反骨のふたり

新谷 藤原さんは、どんな少年だったんですか?

藤原 中学のときはパンクに衝撃を受けました(笑)。それまでは、同じ部屋で暮らしていた姉の影響がすごく大きくて。姉が聞く音楽を聴いて、姉が好きな服を着て、みたいな。それがすごくプラスになりましたね。

新谷 地元の三重県では、「セックス・ピストルズ」なんて、どう考えてもメジャーじゃなかったですよね?

藤原 いい具合の反逆の音楽というか。ヤンキーにはならないけれど反体制側ではいたい、というところにパンクがぴったりきたんでしょうね。今でもすごくよく覚えているのが、当時の雑誌にイラストで出ていた、「ベイシティローラーズ」(※4)ジョニー・ロットン(※5)の比較。どちらもタータンチェックを着ているのに、片やチャラいアイドルと、片や反体制派。そこでパンクのほうをすごい好きになっちゃいましたね。アイビーの〝VAN〟も姉の影響で通りましたが、反体制の格好よさに目覚めたのは、パンクとの出会いがきっかけでしたね。

新谷 私の地元の八王子ではパンクよりも任侠だったな(笑)。中学一年のときにテレビで観た『仁義なき戦い』が、いまだに自分史上の映画ランキング1位ですから。実は菅原文太さんが演じる広能昌三のモデルになった、美能幸三さんにインタビューしたことがあるんです。

藤原 糖尿病で脚を切っちゃった人ですよね。

新谷 本当になんでも知ってますね(笑)。

藤原 僕、一回対談しませんかって言われたんですよ。

新谷 ええ〜! 

藤原 誰かの知り合いだったのかな? でもそういうタイプの人なんですよね。ちゃんと出て喋れるというか。

新谷 インテリなんですよ。もう亡くなってしまいましたが、仲良くなって何回か呉に行ってお会いしました。美能さんには映画の中に出てくるようなセリフを面と向かって言われました。「喧嘩いうんは、狙われるもんより狙うもんのほうが強いんじゃ」とか(笑)。

 映画と同様に、背中に鯉の刺青が入っているというから、「なんで鯉なんですか?」と聞いたら、「喧嘩にこい、女にこい、博打にこい。だから鯉なんじゃあ」と仰っていました(笑)。

藤原 そういう人だったんですね。新谷さんは、現在そういう方面の交際はあるんですか?

新谷 いや、ゼロです。今は全然ないですね。

藤原 本当ですか? あったらダメなんですか?

新谷 ダメかどうかは難しいけれど、今のような時代では叩かれるでしょうね。

 そういえば、以前その筋では有名なヒットマンに取材をしたことがあります。それまでに6人殺したけど、一度も事件になってないなんてことをサラッと言うんです。彼はもともと家庭に恵まれず、グレてゲーセンで喧嘩していたときに出会った、地回りのヤクザに事務所に連れて行かれてメシをご馳走になったことがきっかけで、その世界に足を踏み入れたと言っていました。そして、その時のメシの味が今でも忘れられない、と。だから自分の組では、いつでも電気ジャーに炊きたての米を用意しておくようにと、若い衆に言ってるんですって。ちょっといい話になっちゃいましたね(笑)。