年老いたランボーの恐るべき殺傷力
そして20年の時を経て製作された『~最後の戦場』はシリーズ唯一のスタローン監督作。これまでも脚本には参加していたが(第2作は『ターミネーター』で成功を収めたばかりのジェームズ・キャメロンも参加)、監督を務めたのはやはりシリーズへの強い思いがあったからだろう。舞台も現実に暴力や殺戮が行われているミャンマーに。手、足、首がちぎれ、内臓が飛び出すといった、通常のアクション娯楽作とは一線を画した戦闘描写に度肝を抜かれた。生き残るために多くの犠牲を払い、殺戮をしなければならなかった諦念、そして虚無感。その後、ランボーはミャンマーを後に故郷アリゾナへと帰る。
まさにミャンマーがランボーにとって「最後の戦場」になると思っていた。だが原題は“Rambo”のみ。最後になるなんて、ひと言も言っていないどころか、来日会見では続編製作に意欲を示し、「メキシコで500人くらいの女性が拉致されている現実を踏まえた設定で、現代的な西部劇を描きたい」と語っている。
ちなみに第1作は原作と同名タイトル(邦題は『一人だけの軍隊』)の“First Blood”で、ボクシングでの最初の出血、比喩的に“先手を打つ”という意味を持つ。故に第1作の原題を受けて付けられた第5作『~ラスト・ブラッド』(原題“Rambo: Last Blood”)こそ「最後」であり、今作をもって完結することになるのだろう。そして、エンドロールではシリーズの名シーンが次々と映し出され、ここで涙するファンの姿も。
舞台は父が所有していた故郷アリゾナの牧場。旧友マリアとその孫娘ガブリエラと家族のように暮らすランボーは既に70代、穏やかな日々を送っていた。しかし、ガブリエラがメキシコで人身売買組織に拉致され、怒りに震えるランボーは再び戦いの場へと向かう。
思えば、ランボーが戦う原動力は“怒り”だった。だが年老いたランボーはもはやカリスマではなく、カブリエラを救いに行った時は逆に返り討ちにあい、4日も意識を失う瀕死の重体に。そんなランボーの痛ましい姿は見たことがなかった。囚われの身となり、拷問されても人を射抜くような反抗的眼差しはもう見られないのかと、軽いショックを受けた。
かつてのランボーらしい雄姿が見られるのは“怒り”が頂点に達し、死神のごとく彼らに死の恐怖を味合わせる時。唯一帰る場所だった牧場にあらゆる武器や罠を仕掛け、男たちを待ち受ける。前作同様、暴力描写は容赦ない。残酷なまでに肉体を次々と破壊。人の命を助けるためとか、自身が生きるためとか、ではない。怒れるまま、憎しみの感情むき出しにして。それがベトナム戦争で作られた殺人兵器ランボーの本質か。そんなランボーを止めるトラウトマン大佐も今はいない。
戦いの後、カウチのロッキングチェアに傷ついた身体を預けるラストシーンにはまだまだ続きがあるのではと勘ぐってしまう火種が十分残っていた。少なくとも、『クリード』のようなスピンオフ作品ができてもおかしくないと思ってしまうのは、スタローンが人生をかけて作り上げたこのキャラクターに魅せられ続けているからかも知れない。