織田信長が去った後も織田家の本城だった岐阜城で考える「山城」が廃れた本当の理由 岐阜城 撮影/西股 総生(以下同) (画像1/6) 伝二ノ門跡。道を曲折させたところに木戸口を設けていたようだ (画像2/6) 山麓には迎賓館のような建物が置かれており、画面奥には滝の流れる庭園があった。左上にはロープウェイのケーブルが見える (画像3/6) 山麓にある居館の入口は立派な枡形になっていたことが発掘調査で判明し、調査成果に基づいて整備されている (画像4/6) 山頂直下の石垣。険しい痩せ尾根に積まれている (画像5/6) 山麓部の発掘調査で見つかった信長時代の石垣跡。栄華を誇った岐阜城も関ヶ原合戦ののちは廃墟となり永い眠りについた (画像6/6) 織田信長が去った後も織田家の本城だった岐阜城で考える「山城」が廃れた本当の理由 この写真の記事を読む