「徳川家康が入った頃の江戸は寒村だった」という都市伝説は成り立たない? 徳川家康の「寒村ボロ城伝説」の真相(前編) 2023.10.27(金) 西股 総生 フォロー フォロー中 生活・趣味 歴史 シェア433 Tweet この写真の記事へ戻る 江戸城の巽櫓と大手門 撮影/西股 総生(以下同) 江戸城本丸西面の石垣と堀。家康が入部した頃は葦原の広がる寒村だったというが… 家康が入った頃の江戸城はどのような姿だったのだろうか 鉢形城(埼玉県)は戦国初期に長尾景春が築いてから一貫して北武蔵の要衝であり、北条氏邦が居城とした 小机城(横浜市)も北条氏の主要なの一つ。江戸城もこのような土造りの城だった 牛久城。北条氏はこの城を常陸進出の前進基地とした。この方面に向かう北条軍部隊は江戸城を経由することになる 江戸城本丸の高石垣。技法から見て家康時代の石垣であろう