秀吉はなぜ「石切場」に城を築いたのか?石垣山一夜城が必要だった本当の理由 細川忠興陣。石垣山城と早川を挟んで向かい合う場所にある山には細川忠興が陣を取った (画像6/7) 小田原駅近くにある北条氏政・氏照墓所。北条家の大御所だった氏政と弟の氏照は、小田原開城後に「A級戦犯」として切腹させられた (画像7/7) 石垣山城 撮影/西股 総生(以下同) (画像1/7) 石垣山城の井戸曲輪。城内でもっとも石垣の残りが良い場所だ (画像2/7) 石垣山城西方の山中には江戸城築城に際の石切場跡が残っている (画像3/7) 箱根湯本の早雲寺。伊勢宗瑞が建立し北条家代々の菩提寺であったが、秀吉はこの寺を暫定的な本陣としながら石垣山城を築いた (画像4/7) 御鐘台(おかねのだい)大堀切。北条氏は巨大な堀で総延長9キロにも及ぶ惣構を築いていた (画像5/7) 細川忠興陣。石垣山城と早川を挟んで向かい合う場所にある山には細川忠興が陣を取った (画像6/7) 小田原駅近くにある北条氏政・氏照墓所。北条家の大御所だった氏政と弟の氏照は、小田原開城後に「A級戦犯」として切腹させられた (画像7/7) 石垣山城 撮影/西股 総生(以下同) (画像1/7) 石垣山城の井戸曲輪。城内でもっとも石垣の残りが良い場所だ (画像2/7) 秀吉はなぜ「石切場」に城を築いたのか?石垣山一夜城が必要だった本当の理由 この写真の記事を読む