戦後75年・蘇る満洲国(6)満鉄本社が置かれた大連
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1912年(大正元年)に開校した南満州工業学校の校舎が完成したのは翌々年のこと。設計は満鉄建築係りの横井謙介が行った。その後1922年(大正11年)には南満州工業専門学校に改組された。満鉄が事業を拡大するにつれて専門的知識を持つ人材が必要になったため、満鉄は自前で技術者を養成する必要があったのである。他に南満医学堂では医師を、満洲教育専門学校では教員の養成を行った。
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黒竜江省西部の斉斉哈爾(チチハル)駅の駅舎は1936年(昭和11年)に満鉄によって竣工された。満鉄そのものは大連と長春を結ぶ路線であったが、その後にロシアと中国が共同経営していた東清鉄道(その後、北満鉄路)を満洲国が買収して満鉄に経営を委託することになった。このため満洲における鉄道は事実上すべて満鉄の支配下に置かれることになった。
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1908年(明治41年)に大連のこの場所に置かれた満鉄本社は現在、瀋陽鉄路局大連分局として使用されている。もともとは日露戦争前にロシアが建てて商業学校として使われていた建物。大連満鉄旧蹟陳列館として公開された時期もあったが、私が訪れた2017年は事前予約にかぎって内部の見学はできた。
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大連港の旅客ターミナル正面に建つ大きな建物は1926年に竣工された大連埠頭事務所ビル。当時はこの建築物が大連一の高さを誇っており、その屋上から見渡す光景が大連の典型的な眺めということになっていた。日本から満洲へ夢と希望を抱いてフェリーでやってきた人は、ターミナルを出て最初に目にした光景がこのビルであっただろう。現在は大連港務局が入っている。
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日本からのフェリーが発着した第2埠頭旅客ターミナルは出入り口が半円状の特徴的なデザインであったが、現在は改築されて当時の名残を見ることはできない。また、一度に5000人も収容できたといわれている2階待合室のある空間には現在商業施設が入っている。しかし天井を見上げてみると、太陽光を取り入れる明かり取りが昔のままの状態で今も使用されているのがわかる。
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満鉄は1906年(明治39年)に創立されたときは本社を東京に置いていたが、翌年になって大連へ移した。そのときに社屋として使ったのがこの建物で、もともとはロシアが東清鉄道ダーリニー事務所を置いていた。1908年(明治41年)に満鉄が本社を移転した後は、一時期ヤマトホテルとしても使われていた時期があった。この建物周辺はロシアが最初に開発したためその時代の古い建築物が多数残っており、現在でも「ロシア人街」として市民に親しまれている。
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満洲一の格式を誇ったという大連ヤマトホテルは1914年(大正3年)に竣工された。日本人が満洲に建てた代表的な建築物のひとつである。このホテルが建つ中山広場はかつて大連大広場と呼ばれた街の中心地で、大連市役所、朝鮮銀行、大連警察署、東洋拓殖などのビルが並んでおり、これらはいまも現存している。ヤマトホテルは現在、大連賓館として営業しており宿泊も可能だ。満洲の残り香を嗅ぎたい人はぜひ泊まってみたらよいだろう。
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1937年(昭和12年)に満鉄の太田宗太郎によって設計された大連駅は、日本の租借地である関東州から満洲国へ渡るゲートウェイだった。上野駅を模して建築された駅舎は1階と2階が乗車と降車で隔てられており、まるで空港ターミナルのような斬新なデザインであった。ちなみに現在の上野駅は2代目で、1932年(昭和7年)に酒見佐市らの設計で完成している。
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満鉄は関東州のみならず満洲における鉄道附属地において都市計画を担った。上下水道の敷設も当然業務の一部であった。私は当時発行された古地図を頼りに満洲各地を歩いて建築物を探したが、ときおり当時の古いマンホールを見つけることもあった。満鉄の社章は頭文字の「M」とレールの断面を表す「I」を組み合わせたもの。マンホールの写真を興奮しながら撮っていると、往来する人々に何事かという顔をされることしばしばであった。
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満鉄調査部ビル。満鉄創立と共に設置された調査部は当初は純粋に満洲の地理などの調査を行っていたが、やがて政策立案そのものに大きく関わるようになり、次第にシンクタンクとしての機能を強めていった。特に満洲国が成立した以降は、官僚主導の国家統制を基盤にした社会構築を主導し、これは戦後の日本の国家モデルの原型になったといわれている。しかし満洲国末期にはその先進的な思想ゆえに関東軍の支配方法と対立するようになり、2度にわたって憲兵隊により検挙され次第に力を弱めていった。
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1919年(大正8年)に建造された世帯用の満鉄社宅である「関東館」。4階建てで「コの字」型の建築は当時さぞかしモダンだったと思われる。満鉄に優秀な社員が集まったのは、ひとつにその待遇が破格によかったためであるとも言われている。給与には特別手当が増額され、異国の地ゆえに住宅も提供された。当然のことながら幹部には一戸建てが提供されたが、たとえアパートであっても全館暖房システムが導入されるなど、当時の内地の状況に比べると格段に生活しやすかった。
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満鉄が設立した大連図書館は一般人が利用することもできたが、基本的には満鉄が情報収集のために利用する目的でつくられた。現在のようにインターネットがない時代、重要な資料や情報は図書館が所蔵していたためである。このため満鉄は各地に図書館を開設し、館員を外国に留学させるなどした。それだけ「情報」というものを重視したのである。やがて図書館はその後、満鉄調査部の一組織に組み込まれていくことになった。
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1912年(大正元年)に開校した南満州工業学校の校舎が完成したのは翌々年のこと。設計は満鉄建築係りの横井謙介が行った。その後1922年(大正11年)には南満州工業専門学校に改組された。満鉄が事業を拡大するにつれて専門的知識を持つ人材が必要になったため、満鉄は自前で技術者を養成する必要があったのである。他に南満医学堂では医師を、満洲教育専門学校では教員の養成を行った。
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黒竜江省西部の斉斉哈爾(チチハル)駅の駅舎は1936年(昭和11年)に満鉄によって竣工された。満鉄そのものは大連と長春を結ぶ路線であったが、その後にロシアと中国が共同経営していた東清鉄道(その後、北満鉄路)を満洲国が買収して満鉄に経営を委託することになった。このため満洲における鉄道は事実上すべて満鉄の支配下に置かれることになった。
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大連港の旅客ターミナル正面に建つ大きな建物は1926年に竣工された大連埠頭事務所ビル。当時はこの建築物が大連一の高さを誇っており、その屋上から見渡す光景が大連の典型的な眺めということになっていた。日本から満洲へ夢と希望を抱いてフェリーでやってきた人は、ターミナルを出て最初に目にした光景がこのビルであっただろう。現在は大連港務局が入っている。
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