戦後75年・蘇る満洲国(1)旅順、建国への助走
(写真1)旅順のランドマークともいえる白玉山塔は市街地の背後の山に聳えている。日露戦争終結後、連合艦隊司令長官の東郷平八郎と陸軍第三軍司令官の乃木希典が戦死した日本兵を慰霊するために計画して建立。1909年に完成した。高さは66.8mある。日本統治時代は表忠塔と呼ばれた。ここからは旅順港や市街地が一望できる。
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遼東半島の先端に位置する旅順(現在は大連市旅順口区)(Googleマップ)
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(写真2)ロシア軍が築いた堅牢な要塞に手を焼き、日本軍はなかなか攻略することができなかった。そこで攻撃目標を防御が手薄な二〇三高地に変更する。二〇三とはその山の標高が203メートルであることから付けられた。多大な人的被害を出しながら最終的に山頂を占領することに成功する。日本軍はここに陸軍最大の28センチ砲を据え付けて旅順港を攻撃したが、実際にはどれほどの効果があったのかは議論が分かれるところだ。戦後、乃木将軍は散乱していた砲弾の破片などを集めて当て字の「爾霊山(にれいさん)」と揮毫した実弾型の記念碑を建立した。
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(写真3)旅順郊外にロシアによって築かれた防御要塞である東鶏冠山北堡塁は難攻不落を誇り、第1回目の総攻撃では日本軍は全滅した。その要塞跡は現在一般公開されて、当時の激戦の様子を伝える生々しい砲弾跡や塹壕がそのまま残っている。1926年に建立された記念碑も残り、そこには「明治三十七年八月以来第十一師団ノ諸隊及後備歩兵第四旅団ノ一部隊之ヲ攻撃シ同年十二月十八日占領ス 陸軍大将男爵鮫島重雄碑銘ヲ書ス 大正五年十月 満洲戦跡保存會」と記されている。
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(写真4)1919年に設立された天皇直隷の軍隊である関東軍司令部が置かれた建物。その後、日本は徐々に勢力を拡大し、1931年に満州事変が起きると、関東軍司令部も奉天(現在の瀋陽)へ移った。さらに翌1932年に満洲国が建国されると、首都はさらに北方の新京(現在の長春)に定められたため、関東軍司令部も新京へ移った。
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(写真5)日露戦争後に日本が関東都督府を置いた建物。その後、関東軍の独立と共に関東庁となる。もともとはロシアが1903年に設立した極東総督府として使用していた建物である。1937年に関東庁が関東州庁に機構改変されて大連に移るまで、関東州の行政の中心として権威を保ち続けた。
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(写真6)1903年にロシアが運営する東清鉄道の支線として開通した旅順駅。美しいフォルムを誇る木造建築は現在もほとんど変わっていない。日露戦争後には旅順は大連と並んで戦跡巡りのための人気観光地となり、旅順駅は一日に5000人もの日本人観光客が利用する時期もあったという。私が最初に訪れたのは2016年だが、そのとき鉄道の運行はすでに停止され、大連と結ぶ交通はバスに取って代わられていた。
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(写真7)旅順刑務所は現在、日露監獄旧趾博物館として一般公開されている。1902年にロシアが建設し、その後日本が増築した。内部には朝鮮半島出身の安重根に関する展示が充実していた。安重根とはときの枢密院議長であった伊藤博文をハルビン駅にて暗殺した男である。安は逮捕された後、ここ旅順刑務所へ移送され獄死した。中国でも「抗日烈士」のひとりとして扱われているのである。
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(写真8)旅順高等法院は現在、日本関東法院旧趾陳列館として一般公開されている。1907年に建てられ、高等裁判所および地方裁判所として使われた。韓国の英雄、安重根もこの裁判所で裁かれ死刑判決を受けている。彼の最後の陳述は理路整然と大韓民国の独立と東洋平和・共存を訴えるものであり、傍聴人は固唾をのんで聞き入ったという。
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(写真9)現在も旅順博物館として使用されているこの建築物は元々ロシア将校クラブとして開館されたもの。1917年に関東都督府が満蒙物産館としてその後を継いだ。関東軍司令部とは広場を挟んだ目と鼻の先にある。現在でも中国東北部を代表する規模を誇るこの博物館の目玉はずばり「大谷コレクション」。西本願寺第22代当主だった大谷光瑞が中央アジア探検の際に蒐集した仏像や仏教彫刻、さらにミイラなど、大変貴重なものが収蔵され一般公開されている。
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(写真10)旅順は今も昔も「軍港の街」であり、現在は中国海軍の基地や施設があちこちに点在しているため、大規模な都市再開発が行われてこなかった。このため旧市街には戦前のロシア統治時代や日本統治時代の建築物がたくさん残されている。その多くは由来や建設年を同定することが困難だ。廃墟のようになっている建物もあれば、改築されて集合住宅や個人住宅として使用されているものも多い。街全体がまるごと博物館であるといわれるゆえんで、ぶらぶら歩きが楽しい。しかし現代の中国は管理社会化が進んでいることもあり、特に日中関係が微妙な時期にはあらぬ疑いを掛けられないよう旅行も細心の注意が必要かと思う。
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戦後75年・蘇る満洲国(1)旅順、建国への助走
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