戦う城から治める城へ、近世城郭の行き着く先は?

教養として役立つ「日本の城」(21)
2020.6.9(火) 西股 総生 follow フォロー help フォロー中
生活・趣味歴史
シェア25
このエントリーをはてなブックマークに追加
この写真の記事へ戻る
松江城(島根県)(写真協力/Ogi)
写真1:晋州城(チンジュソン)。町全体を城壁で囲む邑城(ゆうじょう)と呼ばれるタイプの城で、中国大陸や朝鮮半島に多い。半島の南端近くにある城だが、守備隊と住民が頑強に抵抗したため、日本軍はなかなか落とすことができなかった。(写真協力/Ogi)
写真2:西生浦(ソセンポ)城に残る石垣。朝鮮・明軍との講和により、漢城(ハンソン・現ソウル)から撤退してきた加藤清正が築いた城。のちに日本側は講和を破棄して再戦となるが(慶長の役)、なかなか戦線を押し上げることはできなかった。(写真協力/Ogi)
写真3:蔚山(ウルサン)城。慶長の役で、2度にわたって朝鮮・明軍の激しい攻囲を受けたが、加藤清正らの奮戦により撃退した。高石垣と鉄砲の防禦射撃が強力だった様子は、朝鮮側の記録にも書き残されている。(写真協力/Ogi)
写真4:石田三成の居城だった佐和山城(滋賀県彦根市)。関ヶ原合戦で敗走した三成は、潜伏中を捕らえられて処刑され、佐和山城も徹底的に破壊されて、廃墟となった。(撮影/西股 総生)
写真5:佐和山城の本丸から見た彦根城。家康は、信頼していた井伊直政をこの地に入れて彦根城を築かせ、対豊臣戦に備えた前衛基地とした。築城に際して佐和山城から石材を運ばせたため、佐和山城には石垣がほとんど残っていない。(撮影/西股 総生)
写真6:高知城。土佐の戦国大名だった長宗我部氏は、関ヶ原で西軍側に属したため領地を没収され、替わって入った山内一豊が高知城を築いた。現在残る天守は、江戸中期に再建されたもの。(写真協力/Ogi)
写真7:明石城。大坂の陣で豊臣氏が滅んだ後、徳川家の家臣だった小笠原氏が10万石で明石に入り、築いた城。城域をコンパクトにまとめながら、実戦的な縄張りとしている。本丸には天守台があるが、実際には天守は建てられなかった。(撮影/西股 総生)
おまけ:釜山にある李舜臣(イ・スンシン)の銅像。李舜臣は、文禄・慶長の役に際して水軍を率いて大活躍した朝鮮の将軍。軍事的天才だったようで、日本水軍は何度も苦杯を喫している。韓国では救国の英雄として敬愛され、お札の肖像画にもなっている。(写真協力/Ogi)

ライフ・教養の写真

「不思議なスポーツと思われないように」フィギュアスケートという採点競技を放送するうえでの不安と、成功へのカギ
市場予想を上回った個人消費は日銀にとって「渡りに船」、年内最後の利上げはあるのか?
3000m障害・三浦龍司が語る“勝負の瞬間”、東京五輪よりもメダルに近づけるチャンスがあったパリ五輪の激闘と挑戦
藤原氏の同族の僧・壱演、かつての栄華はなくとも清廉に生き、皇族や大臣のために祈り、水の上で亡くなった生涯
武道館を埋め尽くす中国人たち――華人ポップスターはなぜ「日本公演」に乗り出すのか
江戸の茶屋は現代のカフェや喫茶店のようなもの?男女の密会だけでなくデリヘルの場にもなった多種多様な業態の真相
フォロー機能について

フォロー機能とは、指定した著者の新着記事の通知を受け取れる機能です。
フォローした著者の新着記事があるとヘッダー(ページ上部)のフォロー記事アイコンに赤丸で通知されます。
フォローした著者の一覧はマイページで確認できます。
※フォロー機能は無料会員と有料会員の方のみ使用可能な機能です。


設定方法

記事ページのタイトル下にある「フォローする」アイコンをクリックするとその記事の著者をフォローできます。


確認方法

フォロー中の著者を確認したい場合、ヘッダーのマイページアイコンからマイページを開くことで確認できます。


解除方法

フォローを解除する際は、マイページのフォロー中の著者一覧から「フォロー中」アイコンをクリック、
または解除したい著者の記事を開き、タイトル下にある「フォロー中」アイコンをクリックすることで解除できます。