源平合戦から蒙古襲来まで、城跡でわかる中世の戦法

教養として役立つ「日本の城」(18)
2020.5.19(火) 西股 総生 follow フォロー help フォロー中
生活・趣味歴史
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上浜田遺跡(神奈川県海老名市)。(撮影/西股総生、以下同)
写真1:東京都町田市にある小山田遺跡。多摩ニュータウン開発の際に見つかった遺跡が、史跡公園として整備されている。平安末〜鎌倉時代の武士たちは、このような場所に屋敷を構えて住んでおり、個別には城を築かなかった。上浜田遺跡も同様の屋敷跡。
写真2:鎌倉の大倉幕府跡。1180年に伊豆で兵を挙げた源頼朝は、やがて東国の武士たちを率いて鎌倉に入り、本格的な武家政権を打ち立てた。最初に頼朝の御所が建てられたのが、写真のあたりである。
写真3:平安〜鎌倉時代には、敵を迎え撃ったり、街道を封鎖するため、必要に応じて木の柵を設置したような場所も「城郭」と呼ばれた(写真はイメージ)。
写真4:鎌倉の鶴岡八幡宮。当時、都の貴族が残した記録には「鎌倉城」の言葉が見える。ただし、これは「反乱軍のアジト」のような意味で言っているのであって、鎌倉そのものが城郭都市だったわけではない。
写真5:平安〜鎌倉時代の武士たちは、このように馬に乗って弓矢や太刀で戦うのが基本だった。写真は東京都府中市の分倍河原(ぶばいがわら)駅前に立つ新田義貞(にったよしさだ)の銅像。なお、義貞は1333年に上野国(こうづけのくに・今の群馬県)で兵を挙げ分倍河原で幕府軍を打ち破って南下、鎌倉幕府を滅ぼした。
写真6:阿津賀志山防塁(福島県国見町)。奥州藤原氏が鎌倉軍を迎え撃つために築いた堀と土塁。現在、厚樫(あつかし)山と呼ばれている山の中腹から阿武隈川にかけて、延長約3.2キロにわたって断続的に堀と土塁が残っている。鎌倉軍は激戦の末、この防塁を突破して藤原氏を滅ぼした。
おまけ:渋谷城伝承地。東京・渋谷の街中にある金王(こんのう)八幡神社は渋谷氏の居城跡と伝えられている。でも、占地を観察すると小山田遺跡や上浜田遺跡と同じ屋敷跡で、城としては守りようのない地形である。平安〜鎌倉時代にさかのぼる築城伝説は「都市伝説」のようなものがほとんどなので、あまり真に受けない方がよい

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