全体が神域だった上高地
若宮に祀られるもう一柱、信濃中将は日本の物語「御伽草紙」に登場する人物のひとりで、またの名を「ものぐさ太郎」という。自分で建てた小屋に一日中寝そべって、転がった餅を通りすがりの人に拾わせるほどの面倒くさがりだった。
しかしふとしたことから都に行って清水寺の前で美しい女を見つけ、和歌を詠みかわしてまんまと結婚する。田舎からやってきたものぐさ太郎があまりにも歌の名手であったことに驚いた人が調べると、何と深草帝の末裔であることが判明。信濃中将を命じられ、百二十歳まで生きたのちに神になったという。これもまた実に興味深く、あやかりたいような物語である。
境内を左に行くと、池のほとりに嶺宮遥拝社がある。遥拝とは、はるか遠くにある聖地の方角に向かってお参りする場所、嶺宮とは、北アルプスに聳える日本で三番目の高山、奥穂高の山頂に鎮座する穂高神社の別宮のことだ。この場所に穂高見命が降臨したとも伝わる聖地である。こちらに宮が建てられたのは昭和5年のこと。山小屋、穂高岳山荘を開設した人物が建てたため、長らく穂高山荘が管理してきたが、平成26年に穂高神社が宮を建立し正式な嶺宮とした。
奥穂高山頂には登山の経験者しか行くことができないためこの嶺宮遥拝社から拝むしかないが、もうひとつの別宮である奥宮には観光気分で行くこともできる。こちらの宮は、日本有数の山岳リゾート、上高地の明神池畔に鎮座している。実は上高地は、かつては神垣内と書き、全体が神域だった。上高地に行くと、この世のものとは思えない風景の神々しさに心打たれるのだが、あの場所は実際に神々が坐すところであったのか。
再び穂高神社の本宮に戻り、さらなる見どころを紹介しよう。鳥居をくぐる前の左手に不思議なものがある。古い木製の船だ。立札には「神船」と書かれている。安曇族は海の民で、船を繰って隣国と交流していたため、船が神と等しいほど重要だったのだ。
境内右奥の御船会館にもぜひ立ち寄って欲しい。穂高神社では御船祭と呼ばれる例祭が毎年9月27日に催行され、その際に使われる山車や歴史的資料、祭の様子を映したビデオなどが展示されている。船型の山車は歴史上の有名な物語に沿って造られ、穂高人形と呼ばれる表情豊かな人形が配置されている。青森のねぶたに匹敵するほど見事な巨大工芸品だ。
祭のクライマックスには、二艘の御船をぶつけ合う。北アルプスの麓の里に連綿と伝わってきた海の民たちの記憶が、年に一度のこの日に蘇るのだ。わたしはまだその祭を実際には見たことがないが、ぜひ一度は訪れてみたい。