文=鷹橋 忍 

大河ドラマ「光る君へ」では、越前守に任官した紫式部の父・岸谷五朗が演じる藤原為時の出番が増え、注目が深まっている。今回は、一条朝を代表する文人の一人に数えられ(『続本朝往生伝』)、「凡位を越えたる者(非凡な才能の持ち主)」と称された(『江談抄』五)、藤原為時の生涯をたどってみたい。

三井寺本堂 写真=フォトライブラリー

菅原道真の孫に師事

 藤原為時の生年は定かでないが、天暦3年(949)ころ生まれたとされる(ここでは為時の生年を天暦3年として、年齢を算出する)。

 道長の父・段田安則が演じた藤原兼家より20歳年下となる。

 為時の父は周防守、豊前守を歴任した藤原雅正。母は、歌人としても知られる右大臣藤原定方の娘だ。

 為時は15~16歳の頃には大学に入り、菅原道真の孫で、漢詩人の菅原文時に師事したという(今井源衛『人物叢書 紫式部』)。

 

紫式部を産んだ最初の妻は早世

 安和元年(968)11月、為時が数えで20歳の時、播磨権少掾に任じられたという記事が、平安時代後期に編纂された法令集『類聚符宣抄』第八(『国史大系』第二十七巻所収)にみられる。

 また、安和元年前後、為時は最初の妻である右馬頭や常陸介を歴任した藤原為信の娘と結婚したという(今井源衛『人物叢書 紫式部』)。

 為信の娘は、紫式部の姉、紫式部、高杉真宙が演じる弟(兄とする説あり)の藤原惟規を産んだが、早くに亡くなってしまった。

 その後、為時は再婚し、常陸介となり四位に叙される藤原惟通、三井寺僧となる定暹などをもうけている。