新聞やチラシなどの印刷物を、陶を用いて立体化したユニークな作品で知られる三島喜美代。70年にわたる創作活動の軌跡をたどる展覧会「三島喜美代―未来への記憶」が練馬区立美術館で開幕した。
文=川岸 徹 撮影/JBpress autograph編集部
医学の道をあきらめ、美術の世界へ
古新聞、古雑誌、空き缶、段ボール……。家庭から出た「ゴミ」をモチーフに、陶の手法を用いて作品を制作する三島喜美代。そこには当然、情報化社会や大量消費社会への批判が込められているのだが、三島本人はそんなことまったく気にも留めていないようにあっけらかんと言う。
「ずっとゴミばっかり作ってる。なんか、おもしろそうやなーって思ったから。みんな理屈をつけて、難しいことばかり言いたがる。私はただ、おもしろいと思うから」
近年、国内外で急速に評価を高める現代美術家・三島喜美代。三島は1932(昭和7)年、大阪の下町、十三で生まれた。実家は酒屋を経営し、母親は喫茶店を営んでいた。高等女学校(現在の中学校)時代、担任が画家であったことから美術に関心をもち、油彩画を描き始める。だが、将来は美術家ではなく、医学部に進み、研究者になりたいと思っていた。
「人間のクローンをつくりたい」。それが三島の夢だった。今やクローン技術の研究・開発など珍しくないが、当時は手を出してはいけない領域。知り合いの医者から「神への冒涜行為だ」と諭されてしまう。医学の道を断念した三島は、美術に没頭。21歳の時には、吉原治良率いる「具体美術協会(具体)」と交流のあった画家・三島茂司と結婚した。
「結婚後は毎日もう、朝から晩まで絵ばっかり描いていました、2人で。朝方の4時くらいまで描いていましたね。いつも徹夜ですわ」