まるで湖に浮いているかのような絶景

 さてラック式独特のギシギシといった音や振動を楽しんだら、長島ダム駅でアプト式の機関車とはお別れだ。長島ダムによって造られた接岨湖が織りなす景観をしばらく楽しんでいると、突如その湖を長い鉄橋で渡って駅に到着する。奥大井湖上駅だ。ホームに降り立つと目の前は湖、左右は鉄橋、後ろは山という立地で、出口がないことに慌てふためく人も多いだろう。それもそのはず、この駅は普通にはたどり着くことができない秘境駅なのだから。

湖に架かる鉄橋を渡らないと駅から出ることができない奥大井湖上駅

 駅から抜け出る方法はただ1つ。なんと井川駅側に延びている長い鉄橋を歩いて渡るしかないのである!

 とはいえ接岨湖の川床からは70mもの高さに架かる鉄橋のため、高いところが苦手な人は遠慮しておいた方が良いだろう。その後は長くて急な階段を上り、尾根に沿って山道を歩くこと約15分。苦労を重ね、駅の対岸にある一般道にたどり着いて初めて、この駅の素晴らしさに感動することだろう。そこから眺める駅の姿はその名の通り、まるで湖に浮いているかのようだから。鉄道絶景とはまさにこのことを言うのだろう。

湖に浮かんでいるような奥大井湖上駅。駅から左右に延びる鉄橋はレインボーブリッジと呼ばれている。名称としては東京の芝浦と台場を結ぶ道路橋の方が有名だが、それよりもこちらの方が先に名付けられている

 奥大井湖上駅から再び列車に揺られていると、もう1つの日本一が訪れる。尾盛駅と閑蔵駅との間に架かる関の沢橋梁だ。川床からの高さが70.8mもあり、日本一の高さを誇る鉄橋である。列車は橋の上では徐行運転してくれるので、スリル満点の景色が十分堪能できる。

 長島ダムが造られることで路線の一部区間が水没するため、かつては廃線にする方向で話がまとまりかけていた井川線。しかし住民や関係者の熱意により廃線は免れ、水没区間は新線へと架け替えられた。それによって生まれたのが日本最急勾配のアプト区間であり、奥大井湖上駅だ。すなわち路線を新たな観光資源とすることで存続が決定したのである。

 それからというもの、歴史や技術、自然を満喫できる井川線は次々と魅力的なアイデアを発信し続け、観光客を呼び込んでいる。ここでは特別に、今だけしか味わえない井川線の楽しみ方をお教えしよう。

 まずは奥大井湖上駅。この駅のある静岡県川根本町は環境省が「澄んだ星空 全国第2位」に選ばれているのだが、そんな美しい夜空を鑑賞しようと今月から2月までの土日限定で、夜間に「星空列車」が運行されている。空気が澄んでいる季節だからこそ、湖上の駅できらめく星たちをじっくり観察してみてはいかがだろうか。

 そして何より今の時期、沿線はまさに紅葉の最盛期を迎えている。奥大井がもっとも華やかに色づくこの瞬間を見逃す手はないだろう。