文・写真=山﨑友也 取材協力=春燈社(小西眞由美)

90‰の急勾配を上る井川線の列車。先頭と最後部では高さの差が10mもあるという

もっとも急な坂を上る鉄道

 日本の鉄道路線から蒸気機関車が姿を消してしまった1976年、全国に先駆けてSLの動態保存(運用可能な状態で整備・保存すること)を始めた大井川鐵道。現在でも4両のSLを動態保存しており、ほぼ毎日SL列車の運行をおこなっている。そのため鉄道に関心がない人でもSLといえば大井川鐵道と頭に浮かぶくらい、世の中に浸透しているようだ。

 だがそのSLよりももっと面白い列車が大井川鐵道の路線に走っている。それが今回紹介する井川線である。

 SLの通常の終着である千頭駅から(現在は災害のため川根温泉笹間渡駅までの運転)、大井川の上流部に近い井川駅までを結んでいる井川線。この路線の何が面白いのかというと、2つの日本一が存在しているからである。

 まず1つ目は、ケーブルカーなどを除いた一般的な鉄道として、もっとも急な坂を上るということだ。その勾配は90‰(パーミル)。なんと1,000m進むのに90mも登るという、一般的な鉄道では常識外れの坂なのである!

 興味深いのが、その坂を上る方法。千頭駅から列車に乗車し、アプトいちしろ駅に到着してみると、何やらようすが異なるのに気づくだろう。この駅から先を見てみると、2本のレールの間にもう1本のレールが敷かれている。そして後ろを見てみると、今乗ってきた列車と比べるととても巨大な機関車が、2両も連結されたではないか。これはいったいどういうことなのだろうか?

 アプトいちしろ駅と隣の長島ダム駅とのあいだには日本最急勾配の90‰が待ち構えており、あまりに坂が急なため普通の車輪とレールとでは空転してしまって上ることができないのだ。そこで3本目のレールとこの機関車に、坂を上る秘密が隠されている。まずはレールをじっくりと見てみると、まるでノコギリの歯のようにギザギザしたレールが規則的に3列並んでいる。

アプトいちしろ~長島ダム間に敷かれているノコギリ状のラックレール

 これはラックレールという歯形の線路で、歯軌条とも呼ばれている。なぜギザギザしているかというと、連結されたED90形の機関車に装備されている歯車(ピニオンギア)とこのレールとを噛み合わせて進むことで、急な坂でもすべることなく確実に上り下りできるからなのだ。そのため急勾配の区間では機関車の車輪ではなく、歯車が回る力だけで列車を下から押し上げ坂を上っているのである。

ラックレールと機関車の歯車が噛み合っているようす

 このようにラックレールと歯車を使って坂を上り下りしている鉄道をラック式鉄道といい、ラックレールの形によってリゲンバッハ式やシュトループ式、フォンロール式など、さまざまな方式に分類され、ここ井川線はアプト式を採用している。もちろんラック式の鉄道は、国内ではこの井川線だけである。ちなみにロッハー式を用いているスイスのピラトス鉄道は、世界最急勾配の480‰という桁違いの坂を列車が走っているから驚きだ。

左側2台のED90形機関車が乗客の乗る列車を押し上げる。車両の大きさの違いがよく分かる