衣装だけ見ていても全然素敵じゃない
「やっぱりやめたいなって思うことは何回か出てくるんですよ。でも、生きている間に、あれをやめなければよかった、もうちょっと続けておけばよかったと思うことがたくさんありますよね。私にもありました。『やめるのはいつでもやめられるよ。ただ、後から後悔することもあるから、それだけ考えてね』とは伝えていました」
裕香は自らの意思でカナダに渡り、フィンランドに渡り、今日もアイスダンサーとして滑り続けている。
「やっぱり自分の意思でやってほしいですよね。本人が『やりたい』ということに対して、そのために整えたりはしますけれど」
裕香へのその言葉と、選手の喜ぶ、うれしそうな姿を見たいという心から取り組む衣装のデザイン、製作とは、やはり、通底するものがあるように思えた。
すると折原はこう答えた。
「ちっちゃい子が衣装を見て『わーっ』と喜んでいる姿、ほんとうにうれしいんです。どんな選手であっても、うれしいですね」
そしてこう付け加えた。
「衣装だけ見ていても全然素敵じゃないんですよ。やっぱり着用して、曲が鳴って滑って、リンクで見る方が全然素敵です。衣装だけならあまり面白くはなくて、演技をして、それでやっと完成、というものだと思います」
その言葉もまた、選手が本位であることを感じさせた。そして選手を輝かせたい、喜ばせたいと思うから、衣装のデザイン、製作にあたっては細部までこだわる。素材をたくさん集める。
技法も究めたい、新たに取り入れたいと努める。
「例えば昔は衣装にリボン刺繍なんてしなかったんですけれど、自分が今まで仕事でやってきたことなどをフィギュアスケートに持ってきたり、今までやってないことを取り入れるのは楽しいですね」
一例として、吉岡希の今シーズンのショートプログラム『Lullaby for Sadness/Fate of the Clockmaker』をあげる。吉岡は昨シーズンの世界ジュニア選手権で銅メダルを獲得するなど活躍、今シーズン、シニアデビューを飾った選手だ。
「1枚の布が編み込みのように見える技法で、ラティススモッキングと言うんですけれど、それを取り入れています。いろいろやっていると、やっぱりみんながそれにならって、だんだん似たようなものが増えてきて新鮮ではなくなってきます。より新しいものを作りたいですし、まだやってみたいこと、引き出しはたくさんあります。自分の引き出しをさらに増やすようにもしています。
音楽とその子の演技が素晴らしいのに衣装が……とならないよう、音楽と演技と衣装が重なるよう、頑張って作っています」
家事をする以外は1日中、ずっと衣装と向き合っているという。「時給には換算したくないです」と言うその表情は、とびっきり楽しいことをしているような笑顔だった。
折原志津子(おりはらしづこ) 衣装デザイナー。フィギュアスケートの衣装のデザイン、製作を一貫して行なう。東京藝術大学工芸科を卒業後、ドイツの美術専門大学に留学。その後フリーランスでニット・アパレル・クラフトのテレビや書籍、雑誌等の仕事を経て、2007年にMu-costume designを立ち上げる。