平安時代の貴重な仏像が揃う
今回は、岩船寺の普賢菩薩騎象像に再会できたことも嬉しかった。この寺は浄瑠璃寺と同じく当尾の里にあり、アジサイをはじめとする四季の花に囲まれた静かなお堂で、普賢菩薩様と対面できる。仏教において女人は成仏できないものとされるが、普賢菩薩だけは女人を救済してくれるため、特に女性に厚く信仰された。
文殊菩薩とともに釈迦如来の脇侍になることが多く、単独で祀られることは少ない。その中でも、こちらの像は美しさが際立っている。女性の守護神のためか、お顔立ちも女性的でポーズもたおやかだ。昔、この普賢様にお会いしたくて、浄瑠璃寺からの山道を歩いて行ったことを思い出す。当尾の里は路傍の石仏も多く、歩いていると、中世を旅しているような心持ちになって来たものだ。
旅と言えば、海住山寺への山道もなかなかたいへんだった。優れた仏像にお会いするためには相応の苦労も必要なのである。こちらで著名なのは、まず国宝の五重塔。そして本堂に祀られる立派な十一面観音菩薩立像である。しかしこの寺にはもう一体、奥の院に伝わってきた素晴らしい十一面観音菩薩立像もあり、そちらが今回展示されている。
像高45・5cmと小さいながらバランスの取れたお姿を、正面からだけでなく、横からもよく見ていただきたい。おなかを少し突き出すような反り気味のポーズがなんと優美であることか。頭上の十一面も、一面を除いて、ほぼ完ぺきに造られた当時のままであるという。優しい菩薩面からあざけり笑いをするような大笑面まで、さまざまな表情がある。これは、あらゆる方向を見渡し、罪ある人も含めてすべての人を救う観音様の力を表している。
寿宝寺からお出ましの三体も、特筆すべき仏様たちだ。まずは、実際に千本の手がある千手観音菩薩立像。千手観音は文字通り千本の手で無数の人の願いを叶える力を持つが、千本近くの手がある像が造られたのは奈良時代までで、平安時代以降は42本に省略されることがほとんどである。この像は12世紀、平安時代も後期のたいへん珍しい作例だ。
千本も手があると造形的に難しいだろうと思うのだが、この像は羽ばたく鶴のように自然で美しい形である。視線がかなり下向きなのも印象的だ。薄暗いお堂でお会いすると、目が合った瞬間、「わたしがおまえを救う意味がどこにあるか、よく考えなさい」と言われているようでどきりとする。
その像の左側には降三世明王立像、 右側は金剛夜叉明王立像が屹立している。これは五大明王と呼ばれる異形の明王像の中の二体で、もともとは別の寺にあったものが寿宝寺に移されたのだそうだ。降三世明王は三面六臂、三つある顔の額には、それぞれ第三の目がある。足元にいるのはヒンズー教の神であるシヴァ神とその妻。異教の神を踏む形が、数ある仏像の中でもひときわ異彩を放つ。金剛夜叉明王も三面六臂、どのような障害をも貫く力を持つとされる。どちらもダイナミックなポーズで、今にも動き出しそうだ。
松尾神社の牛頭天王坐像も、博物館展示でもなければ、めったに見られないものだろう。牛頭天王は祇園精舎の守護神であり、京都の八坂神社の祭神でもある。神仏習合の神であり仏でもあるためか、神像に近い印象を受ける。頭の上に牛を乗せた姿はユーモラスでかわいらしく、はじめてお会いできた嬉しさに、思わず笑みがこぼれた。こんな素敵な像まで連れてきてくれた今回の特別展に心より感謝である。