「道化」は文学といえるのか?

 母親から愛されず、無視されて育った太宰は、自分の存在を示すために学校でも道化を演じます。尋常小学校、小学校では首席、高等小学校でも成績は良かったものの、「お前は面白い」「変なやつだね」「普通じゃない」と思われたいがために人の目を引こうと悪戯をしたため、修身と操行という道徳的な評価は低かったのでした。

 1923年(大正12)3月に父親を喪い、太宰は県立青森中学校(現・青森高等学校)に入学します。そして、ここでも道化者を演じてクラスの人気者になり、この頃、小説にも興味を持ちはじめました。

 小説家としてある程度評価されてからも、自分が子どもの頃から親に無視されて育った厄介者ということが心から離れず、道化者であり続けて生きていかないといけなかったのでしょう。

 自分をさらけ出すことが純文学だと思っていたのだとしたら、それは違うと思います。さらけ出したあと、そこには何もないのですから。

 福沢諭吉の「独立自尊」のように、芯となるものを持っていないと自己評価も低くなります。面白い道化話を伝えることができればよかったのですが、自分を曝け出すことしかできなかった太宰は、真っ裸になって人を笑わせているだけの道化者でした。そして自分がやっていることは嘘だと思いながら、道化をやればやるほどなお虚しくなって、生きていくことの意味が消え去っていったのではないでしょうか。

 太宰は戦後、坂口安吾、石川淳、織田作之助らとともに無頼派作家と呼ばれました。

 無頼派というのは文字通り、誰にも頼らないという意味です。坂口安吾のように食べたいだけ食べて、がむしゃらに書いている作家であればいいと思います。なんでもかんでも謎だと言って、自分の私感で歴史観を語って、ガンガンガンガンやれる強い人間であれば本当の無頼派なのでしょうが、太宰は無頼派になれなかった無頼派でした。