一度は沼のようにハマってしまう太宰文学
1948年6月19日、玉川上水に愛人の山崎富栄と入水自殺した太宰の遺体が発見されました。
奇しくも、この日は太宰の誕生日でした。「桜桃忌」と呼ばれるこの日にはお墓のある三鷹の禅林寺で法要が営まれ、毎年多くのファンが集まります。
たしかに太宰の小説は人を虜にする魅力があります。中高校生や、初めて作品を読んだ人はみんな太宰にハマってしまいます。僕だって若い時にはハマりました。麻疹みたいなものでみんな一度はハマると思います。
それは、人の弱さを徹底的に知り尽くしているからこそ書ける小説だからです。太宰だけが私のことをわかってくれると読者に感じさせ、心の中にスーッとすり寄っていくような文章が書けるのです。
しかし、人を頼らないと生きていけないような「弱さ」を売り物にして命を繋いでいっても、太宰も読者もダメになってしまうと僕は思います。
常に理想とすべき、そして新しくあるべき「自分」や「社会」を構築するための力を形成していくことにはならないからです。あれだけの才能がありながら、なぜもっと強い文学を生み出すことができなかったのでしょう。
第1回芥川賞を受賞した石川達三の『蒼氓』は、口減らしのためにブラジルへの移住を促す国策に対する人々の悲しい現実を描いた作品で、個である人間と、大きな社会をじっくり見つめています。
石川のような文学に対する非常に重要な視点や強さを自分は持っていないことを、落選した時、太宰は気がついたのではないかと思います。
ただ言えるとしたら、太宰がもし、芥川賞を受賞していたら、『津軽』や『パンドラの匣』『人間失格』など名作といわれる小説が生み出されることもなく、心中で命を落とすようなこともなかったかもしれない、ということだけです。