ルネサンスから次世代の芸術へ
「署名の間」の実績から、ラファエロはさらに「ヘリオドロスの間」「火災の間」「コンスタンティヌスの間」の3部屋を任されます。
「ヘリオドロスの間」は教皇のプライベートな部屋で、《ヘリオドロスの追放》《聖ペテロの解放》《アッティラとの邂逅》《ボルセーナのミサ》という、戦う教皇と呼ばれたユリウス2世にふさわしいさまざまな危機と、その危機を神の加護が救うという主題が選ばれました。
《ヘリオドロスの追放》は、「署名の間」の《アテネの学堂》と似ている構図ですが、《アテネの学堂》の整然として静かなイメージとは違って、体が引き伸ばされて動的な人物表現、ドラマティックな明暗表現など、次の世代のマニエリスムを感じさせるようなダイナミックな表現になっています。
またこの作品にはミケランジェロやレオナルド、古代彫刻の影響も見えますが、上から当たっているスポットライトのような照明効果、飛翔する男性の躍動感や劇的な表現は、バロック様式の先駆けであるとも感じられます。左側の輿の上にユリウス2世、その輿を担いでいる手前の若者はラファエロの絵の多くを版画にしたマルカントニオ・ライモンディ、奥の若者はラファエロの自画像もしくは筆頭弟子のジュリオ・ロマーノともいわれています。
1513年、ラファエロにスタンツェを依頼したユリウス2世が亡くなります。跡を継いだレオ10世も引き続きラファエロに依頼し、1514年に完成したのが「火災の間」です。教皇を賛美する《ボルゴの火災》《オスティアの戦い》《シャルルマーニュの戴冠》《教皇レオ3世の弁明》の4作が描かれていますが、芸術家としての評価の高まったラファエロは制作に割く時間がしだいに取れなくなります。
師ペルジーノのように大工房をもっていたので、弟子たちとの分業を導入し、この部屋も下絵以外の壁面への転写や彩色は、ほかの画家や弟子たちがそのほとんどを担当しました。
部屋で最初に手がけられた《ボルゴの火災》は、ほかに比べてラファエロの手が多くかけられ、ミケランジェロに刺激を受け、ムキムキの筋肉やねじれた身体描写など、マニエリスム様式が完成された、壮大な作品となっています。
最後に発注された一番広い「コンスタンティヌスの間」は、着手する直前にラファエロが急死してしまいます。そのため構想と部分的な下絵にラファエロの手が入っているだけで、工房の弟子たちによって完成したものです。散漫な印象の部屋は、ラファエロが手がけたほかの部屋との差が明らかでした。
ローマでその才能をさらに大きく開花させたラファエロでしたが、37歳という若さでこの世を去ることになります。
参考文献:
『もっと知りたい ラファエッロ 生涯と作品』池上英洋/著(東京美術)
『ラファエロ−ルネサンスの天才芸術家』深田麻里亜/著(中公新書)
『ルネサンス 三巨匠の物語』池上英洋/著(光文社新書)
『ルネサンス 天才の素顔』池上英洋/著(美術出版社)
『名画への旅 第7巻 モナ・リザは見た 盛期ルネサンス1』木村重信・高階秀爾・樺山紘一/監修(講談社)他