大人気作のモデルになった女性は?

 聖母子像の最後に、ラファエロがフィレンツェからローマに移ったあとの大人気作を紹介しましょう。

 1ページ目の《椅子の聖母》(1513-14年頃)はこれまでの聖母子像とは異なり、全体に世俗的な印象も感じますが、ラファエロの才能がよく発揮されている作品です。聖母の姿勢は肉体描写としては不自然であるにもかかわらず、3人のポーズや衣服の色彩、黒い背景など、円形の画面が最大限に生かされています。愛くるしいキリストと美しいマリアの視線が見るものに向けられていることで、作品の印象を効果的に深くしています。

 同じ頃に第6回「 三巨匠の中で最も影薄?ラファエロ、実はルネサンスを象徴する大芸術家だった」で紹介した祭壇画《サン・シストの聖母》(1513年頃)を描いています。左にいる男性がユリウス2世、左下に描かれているのが教皇のかぶる帽子ということから、ユリウス2世を弔うための絵だということがわかります。

《サン・シストの聖母(システィーナの聖母)》1513年頃 油彩・カンヴァス265×196cm ドレスデン、国立絵画館

 右にいるのがバルバラという殉教聖人で、塔に閉じ込められたことから、後ろに小さく塔が描かれています。カーテン状の幕や、画枠から見ているようなふたりの天使のだまし絵的効果など、高度な技法を使っている作品です。

 この《サン・シストの聖母》と《椅子の聖母》のマリアのモデルと言われている女性がいます。ラファエロをリスペクトしていたアングルの《ラファエロとフォルナリーナ》(1814年)を見てください。このフォルナリーナという女性は、ラファエロの愛人だったとされる女性です。

ドミニク・アングル《ラファエロとフォルナリーナ》1814年 油彩・カンヴァス 65×53cm マサチューセッツ州ケンブリッジ、ハーバード大学フォッグ美術館

 アングルの絵では、ラファエロの膝にのっているフォルナリーナのほか、カンヴァスには描きかけの《ラ・フォルナリーナ》(1518–19年頃)、その後ろの壁には、彼女をモデルにしたとされる《椅子の聖母》が見えます。《ラ・フォルナリーナ》の女性の腕輪には「RAPHAEL VRBINAS(ウルビーノのラファエロ)」と書いてあります。胸に手を当てるポーズは花嫁を描く際に用いられることが多いことから、ラファエロが自分の女性だと宣言しているとも読み取れますが、フォルナリーナはパン屋の娘という意味もあります。恋人もしくは娼婦だったという説があります。

《ラ・フォルナリーナ》1518–19年頃 油彩・板 87×63cm ローマ、国立絵画館

 ルネサンスの三巨匠は全員、独身を通しました。レオナルドとミケランジェロはホモセクシャルでしたが、美男子で優雅な物腰、さらに知性的だったというラファエロは、女性にモテモテでいろいろな女性と付き合ったことで知られています。のちに教皇レオ10世に枢機卿に取り立てられたビッビエーナ枢機卿の姪マリアと婚約しましたが、結婚を待たずマリアは急死してしまいます。

「美術史家の父」と呼ばれる『美術家列伝』の著者ヴァザーリは、ラファエロが美しい女性を生み出すことができたのは、とにかく多くの女性と関係を持ったからだと書いています。ラファエロ自身も「女性を描くためには女性を知らなければならない」と言っています。そのためからか、現実にいるような美しい女性像は、いろいろな女性の理想形が組み合わされた女性像だと考えられます。

 聖母マリアというと、多くの人がラファエロのマリア像に近いイメージを思い浮かべるのではないでしょうか。美しいマリア像はラファエロが多くの女性と接したことから誕生したのだとしたら、致し方ないかもしれません。

参考文献:
『もっと知りたい ラファエッロ 生涯と作品』池上英洋/著(東京美術)
『ラファエロ−ルネサンスの天才芸術家』深田麻里亜/著(中公新書) 
『ルネサンス 三巨匠の物語』池上英洋/著(光文社新書)
『ルネサンス 天才の素顔』池上英洋/著(美術出版社)
『名画への旅 第7巻 モナ・リザは見た 盛期ルネサンス1』木村重信・高階秀爾・樺山紘一/監修(講談社)他