取材・文・撮影=中野香織

富士スピードウェイホテル エントランス

エレガンスの世界は車とファッションが作ってきた

 西洋のファッション史を考えるときに視野に入れたい要素の一つに、車がある。17世紀くらいまでさかのぼるならば、車の前身とも呼べる馬車も考慮に入れたい。フランス貴族たちがパリの公園で馬車のパレードをして優雅さを競ったのだが、その基準には、馬車に乗る女性たちの装いも含まれた。

 18世紀のポンパドゥール夫人が、森に狩りに来るルイ15世の気を引くために用いたファッション戦略においても、馬車が重要だった。ピンクのドレスの時にはブルーの馬車、ブルーのドレスのときにはピンクの馬車に乗り、彼女は見事にルイ15世の心を射止めて公妾になった。装いと馬車は手を携えてエレガンスを表現していたのだ。

 20世紀に差し掛かるころには、馬車は「馬なし馬車」、つまり自動車へと変わっていくが、それとともにパレードはコンクールへと形を変えていった。当時の車の所有者は貴族や富裕層が中心で、車のあつらえにはやはり優雅さが求められた。これが「コンクール・デレガンス(Concours d’Elegance)」の起源である。1901年にはボルドーで開催されている。

 ここにおいてもやはり最新モードをまとった女性が不可欠だった。女性が車から降り、時には犬と一緒にポーズをとって車とファッションが融合したエレガンスをアピールした。

 実際、1920年代、30年代の車の形と女性ファッションの流行シルエットは連動している。幾何学的なボディの車が中心の20年代にはウエストラインのない直線的なシルエットのドレスがトレンドになっているし、流線型ボディの車が登場するころには、流れるようなシルエットを特徴とするバイアスカットのドレスが出現する。

 

コンクール・デレガンスの「静」とレースの「動」

 第二次世界大戦後、ヨーロッパが大打撃を受けたことで貴族階級が経済的基盤を失い、車をめぐるイベントのいくばくかがアメリカに移る。1950年にはアメリカで新たなコンクール・デレガンスが催されることになるが、これが現在、最も規模の大きなイベントのひとつとして知られる「ペブルビーチ・コンクール・デレガンス」である。当初は、ロードレースの開催が決定した際、モータースポーツの優雅な伝統を演出するため、余興に近い規模で追加されたイベントだった。

 アメリカではこのペブルビーチのほかにアメリア島、ザ・クエイルやパームビーチ、イタリアではヴィラ・デステ、イギリスではグッドウッドやハンプトンコート宮殿にブレナム宮殿、そしてフランスではシャンティイなど、現在も世界各地で名車の競演がおこなわれている。

 ただ、ファッションはかつてほど密接な関わりをもたず、車そのものを、そのレストア経歴や部品の独自性なども含めて総合評価するという「コンクール・デレガンス」になっているところが多い。

 コンクールの初期から変わらないのは、資産価値の高い車のオーナーたちは桁違いの富裕層や貴族であり、コンクールは国境を越えた彼らの社交サロンのような役割を果たしているということである。

 そんなコンクール・デレガンスが自動車イベントの「静」の側面を担うとすれば、モータースポーツそのものには「動」の魅力がある。最先端の技術と革新的な思想を自動車という形に結集し、それをレースという場でテストする。レースはスリルと興奮を伴う挑戦の場であるとともに、次の時代を切り開くイノベーションが花開く場でもある。

 そもそも蒸気機関、電気、内燃機関といった馬に変わる動力機関を使って、どれだけ早く、確実に目的地に到達できるかを競うためにレースが誕生したのだ。各メーカーが威信をかけてレースに挑む熾烈な競争を通して、技術は飛躍的に進化を遂げてきた。次の時代を創る最先端の技術が結集され、夢や願いに資金が投じられる革新性あるプロジェクトという意味で、モータースポーツは本質的にラグジュアリーである。

 もちろん、レースにおいては、サーキットや公道の外での、車のオーナーはじめ関係者たちの華やかな社交も大切な要素として扱われる。ゆえに、サーキットをもつ地、あるいは公道でレースがおこなわれる地には、社交とリラクゼーションのための施設も備えた高級ホテルが立ち並ぶことも多い。F1が開催されるモナコのように。風光明媚な土地の豪華な施設を背景に繰り広げられるファッショナブルなセレブリティ社交の模様は、一般大衆の幻想における「キラキラで素敵(時に若干の揶揄まじり)」という意味で「ラグジュアリー」と表現される。