「股関節がポイントだったので、練習していかに痛くならないかというところからスタートしましたが、彼はいろいろ教えてくれるんですよ。私がフィギュアスケートは初めてというのを踏まえて、『こんなにしてこうなるんですよ』と。フィギュアスケートのメンタル的なものも含め、フィギュアスケートの原点の部分を学べました。彼のコーチは佐藤信夫先生と久美子先生だったので、コンパルソリーやフィギュアスケートの基本の部分のお話をいただいて、自分でもスケートをやってみて『こういう風に体を使うんだ』『こんな感じで動くんだな』と積み重ねていくことができました」

 小塚に携わる中で、フィギュアスケートを学んでいった。

 

「もうちょっと早く出会えていれば」

2013年12月22日、全日本選手権でFSを演じる小塚崇彦 写真=YUTAKA/アフロスポーツ

 小塚は徐々に状態が上向き、迎えた全日本選手権では3位、シーズン最高の演技を見せた。

 それはうれしくもあったが、一方で悔しさもあった。

「それまでの状態を考えると全日本選手権で3位に入れたのは素晴しい。でもソチオリンピック代表にはなれなかった。彼のもう1回オリンピックへ、という夢を実現できなかった。もうちょっと早く出会えていれば、という思いとともに、もっとできることがいっぱいあったんじゃないかという思いもありました。もっと勉強しなきゃ、もっと工夫しなきゃ、そんなことを感じました。特にメンタル的なところのサポート。どうしても手探りな部分がたくさんあったので」

 それはのちにいかされることになる。

 例えば——。

「演技の前、最後はコーチが絶対選手に何か話すので、コーチの言葉をイメージして、僕は選手と会話をします。前もってノートに『こう言ったらこう返してくる、こういうイメージや気持ちになるだろう』とたくさん書いていきます。それをつなげて言葉のメッセージをつくるようにしています。それは彼のおかげですね。彼がうまくいかなかったときに『これを言っておけばよかった』と後悔したことがあったので」

 コーチが送り出すときにかける言葉をはじめ綿密にシミュレーションし、自分は何を語りかけるべきかを考え実践するようになったという。

 それは選手のメンタル面も重視することがトレーナーとして大切であるという出水の姿勢の表れでもあった。

 小塚とは引退するまでトレーナーとしてかかわっていたが、その最後のシーズン、もう1人担当する選手が加わることになった。宮原知子である。2015-2016シーズンのことだ。

「尊敬しかないですね」

 そう振り返る宮原との時間も、さまざまな思いを残した。

 

出水慎一(でみずしんいち)スポーツトレーナー。国際志学園 九州医療スポーツ専門学校所属。 専門学校を卒業後、フィットネスクラブに勤務。18歳からスポーツ現場や整骨院で修行を続け、その後、九州医療スポーツ専門学校で学び柔道整復師の資格を取得。スポーツトレーナーとして活動する中でフィギュアスケートにも深くかかわり、小塚崇彦、宮原知子、宇野昌磨のパーソナルトレーナー等を務める。2018年平昌、2022年北京オリンピックにも参加している。