文=松原孝臣 写真=積紫乃
関係の強さを感じさせるキスアンドクライ
演技を終えたあと、得点が出るのを待つスペース「キスアンドクライ」。そこに座る選手やコーチがときに喜びから、ときに悔しさから、笑顔や涙の表情を見せる。フィギュアスケートではおなじみの光景だ。
主だった大会であれば、選手とコーチが座るのが常だ。選手とコーチの2人、あるいは選手にコーチ2名がついていることもある。
でも宇野昌磨の場合は異なる。例えば2023年3月にさいたまスーパーアリ―ナで行われた世界選手権。真ん中に宇野、宇野の左にコーチのステファン・ランビエール。そして右に座っていたのは、コーチではなかった。
「おそらく初めてなんじゃないかと思います」
自身でもそう語るのは、トレーナーの出水慎一だ。出水の言うように、少なくとも主要大会でトレーナーがキスアンドクライのスペースに座っているケースはこれまでなかったのではないか。
でも出水が宇野の隣にいるのは、2022年の北京オリンピックで初めてキスアンドクライについて以降、もはや見慣れた光景だ。それは、宇野にとっての出水の存在がどのようであるのかを示している。
選手とトレーナーが信頼関係を築くのは、むろん、珍しいことではない。それを前提としても、関係の強さをキスアンドクライは感じさせる。
ただ押しつけるのではなく一緒に考えてくれる
出水と契約をかわしておよそ1年後の取材で、出水について語った宇野のひとことが象徴的だ。
「出会えてよかったです」
宇野にそう実感させた理由は、いくつもあった。
その1つは、出水のスタンスだった。宇野はこう語っている。
「出水先生は、僕の気持ちをくみとって聞いた上で、アドバイスをしてくれる。ただ押しつけるのではなく一緒に考えてくれる。そういうところが、いいなと思いました」
宇野は出水と出会う前にもトレーナーについてもらったことがある。ただ、継続するには至らなかった。それも出水との相性のよさを思わせる。
トレーナーという職に限った話ではなく、専門的な知識を持ちサポートにあたる立場にある人は、それに基づきアドバイスをおくり、アドバイスにとどまらず何らかの実践行動をとる。それは自然なことでもある。
ただ、出水はこう語る。
「たぶんほとんどの人は、『指導する』というところが前に来ると思います。これが正解だと分かっていると、選手がどうあろうとその正解をさせたい、そのほうが多いかもしれません」
出水はそれを避けているという。
「私の場合、選択肢を提供するという形にしています。『こういう状態だからこういうのもいいと思うよ、こういうのもあるよ、どうする?』といった具合です。正解がこれだからというよりも、選手が『しない』と言ったらしません。しないという選択の中でサポートをすればいいと思っています」
理由の1つは「考え方として『自立』があるから」。