変わり果てた「心中」の舞台

露天神社の社殿

「曾根崎心中」の舞台を見て、わたしもたまげたことがある。2人が心中した曾根崎の森の舞台装置と現在の露天神社の風景がまったく違うのだ。このあたりは大阪キタの中心部で、オフィスビルと飲食店街に囲まれた小さな神社なのだが、舞台では、2人は何やら沼地のようなところを抜けて行き、木々が生い茂る暗い森で最期を迎える。当時の露天神社は広大な敷地を持ち、深い森に覆われていたようである。

 創建の時期は定かではないが、社伝によれば、当初、このあたりは大阪湾に浮かぶ曽根洲という小島で、「住吉須牟地曽根ノ神」を祀っていたという。南北朝時代ごろには曽根洲も少しずつ拡大し、やがて地続きの曽根崎となった。現在のような繁華街になったのは、やはり、近くに大阪駅ができてからのことだ。

 社名の「露天神社」のいわれには諸説ある。菅原道真が九州に流される際、この場所で「露と散る涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出ずれば」という歌を詠んだことにちなむという説が有力だが、それ以外に、入梅の時期に祭礼をすることから「梅雨天神」と称する、梅雨時期になると清水が湧き溢れる井戸があるなどの説もある。

 祭神は大己貴大神、少彦名大神、天照皇大神、豊受姫大神、菅原道真の五柱。他の祭神が偉大すぎて、案外天神さんの存在感が薄いのだが、神牛舎などゆかりのスポットもちゃんとある。境内末社も、水天宮、金比羅宮、開運稲荷社、難波神明社など、多士済々。縁結びや恋愛成就祈願だけでないご利益もたっぷりありそうだ。

金毘羅宮と水天宮が同居する

 最後にひとつアドバイスを。こちらにお参りするのは夕刻がおすすめだ。なぜなら道筋のお初天神通り商店街は、夜に本領を発揮する街だからだ。昼間はお好み焼や屋が開いている程度だが、夕方以降は飲み屋さんの明かりがどんどん灯り、魅惑のストリートとなる。とりわけ「お初天神裏参道」と呼ばれる石畳のバル街がはしご酒派に人気とのこと。残念ながらわたしはアルコールに弱いたちなのであまり関係がないが、イケる方々は、まずお初徳兵衛と天神さんにきっちりお参りをしてから、こちらで成仏を目指していただきたい。