日光東照宮と同じく家光によって造営替え
まずは、1633年に造立され、関東大震災の際にも傾かなかったと言われる大石鳥居をくぐってお参りに行こう。表参道の両側には200基以上もの石灯籠がずらりと並んでいる。これらの大部分は、家康を祀る金色殿が造立された際に諸大名が奉納したものだ。
参道の右手は上野動物園の敷地で、そこに旧寛永寺の五重塔がそびえている。これはもともと1631年、東照社の造立の際に寄進され、その後焼失して1639年に再建されたものだ。左手には池之端参道があり、その先には、かつて江戸城内にあった紅葉山東照宮から移築された不忍口鳥居がある。
さらに歩くと左甚五郎作の昇り龍、降り龍の彫刻が施された唐門があり、美しい透塀に囲まれた金色殿がある。拝殿、幣殿、本殿の三つの間から成る権現造り。文化財保護の観点から内部は非公開だが、所定の拝観料を払えば、塀の内側に入って、金色殿側面の素晴らしい彫刻を見ることができる。
これらの建物は、日光東照宮と同じく三代将軍家光によって1651年に造営替えされたもので、すべてが重要文化財に指定されている。幕末の上野戦争で寛永寺の多くの建物は焼失してしまったが、これらはほぼ無傷で残った。
また、第二次世界大戦の際にはすぐ裏に爆弾が落ちたが、幸い不発弾だったため被害を免れた。そして、2014年には5年がかりの修復を終え、光り輝く姿が蘇ったのである。これぞ大権現パワーというものだろう。
家康は戦国武将の中では比較的人気がないと言われるが、江戸の街を造り、その守り神として上野に鎮座し続け、さらにはこのように立派な文化財を残してくれたのだから、東京都民としては、もっとこの人物をリスペクトすべきではなかろうか。どうか大権現様、これからも東京の街をお守りください。そして大河ドラマの中の家康さんが一日も早く覚醒し、立派な将軍になりますように。