文=中井 治郎  写真=フォトライブラリー

哲学の道 写真=フォトライブラリー

人生の中に京都で暮らしていた日々があるということ

 性格まで「いけず」に変えてしまうのではないかと思うほどの京都の冬の風物詩、底冷え。とはいえ、今年はそれほど冷えないな・・・と油断していたら、暦の上ではもう冬も終わろうかという頃になってようやく街の景色を無音のモノクロームに塗り込めるような雪が降りはじめた。

 そんな雪の夜。僕は昭和生まれの愛車にめいっぱい荷物を積み込んで東へ走り出した。

 私事で恐縮だが、この春で京都を離れることになったのである。

 今にしてふりかえってみると、そもそもこんなに長居するつもりはなかったのだ。どこの大学にも引っ掛からずに淀川の河川敷に寝そべって浪人の一年をやり過ごしたのはまだしも、そのあと琵琶湖と鴨川のほとりでこんなに長い時間を過ごすことになるとは、まったく思ってもみなかった。

 まずは琵琶湖のほとりに居を構えた僕が次に京都へ移る際に、大阪から軽トラでやってきて荷物を運んでくれたのは父だった。

 近畿の各地に生きる人々の絡み合った愛憎の迷宮は当人たちも迷子になるほど複雑である。なかでも大阪人の京都に対する思いは一筋縄ではいかない。彼らが手放しで京都という街を絶賛するようなことは、まずない。それはわが父も例外ではない。

 しかし、「それだけ」でもないのだ。

 軽トラのハンドルを握った父がこれから京都暮らしを始めるという助手席の息子へ贈った言葉も、もちろん素直な祝福の言葉ではなく、この京都という「ややこしい」街への苦情のフルコースだった。

 しかし、そんな父は、すこし言葉を選びながら、ひとことだけこんなことを言った。

「まあ、でも、人生のなかに京都で暮らしていた時期があるというのは、そんなに悪いことやないけどな」

 ・・・ああ、そうだった。父はあまり自分の青春時代の昔話をしない人間なのですっかり忘れていた。そういえば彼もこの街の大学に通っていたのだ。人生のなかで京都の大学生だった日々のある人なのである。

 すこし遠い目をして何かを思い出している様子の父は、それ以上はなにも言わなかった。ただ彼が父親になる前の日々の面影を垣間見ることができた気がして、すこし愉快だったことを覚えている。