日本にGPファンが数多くいるのは、配給会社セテラ・インターナショナル(東京)の山中陽子さんの力が大きい。山中さんは就職した映画会社でGPの存在を知り、大ファンになり、日本でGP作品を見たいという一念から、1989年にセテラを立ち上げてしまった女性である。『ジェラール・フィリップ 最後の冬』の邦訳版も、山中さんが出版社にかけあって実現した。現在は少数精鋭で新作映画の輸入・配給も手掛けており、良質な文化の継承には、彼女のようなパトロン的存在も必要なのかもしれない。

セテラ・インターナショナルの山中陽子社長と映画祭ポスター
山中さんが集めた関連グッズ。死去時の新聞も

 GPの魅力とは何か。「これだけ美しくて、早逝するまでに様々な活動をした人は他にいない。そこが時代を超えて多くのファンを持つ理由だと思います」と山中さんは言う。

 実は日本映画が仏で知られるきっかけを作ったのもGPだった。1953年の来日時にはスケジュールの合間を縫って「ひめゆりの塔」(1953年、今井正監督)、「虎の尾を踏む男たち」(1952年、黒澤明監督)など日本映画を10本近く鑑賞。「戦後イタリアのネオ・リアリズムに匹敵する」などと高く評価して、仏評論家のジョルジュ・サドゥールに紹介、感想を仏雑誌に語ってもいる。さらにパリでの日本映画祭も企画。実現は没後になってしまったが、のちにシネマテーク・フランセーズで多くの日本映画が収蔵されることとなる。

 本人の命日である11月25日に都内3館でスタートした生誕100年映画祭には、杖をついた往年のファンから、その子供、孫の世代の若い映画ファンまで、多くの観客が詰めかけている。40~50歳代の女性を中心に、新たにファンになった人も少なくない。2023年以降は大阪、京都、神戸、名古屋、石川、福岡、鹿児島、沖縄と全国を巡回する予定で、計2万人の動員が見込まれている。

映画「ジェラール・フィリップ最後の冬」から、パリの自宅で (c)famille philipe