浅草神社の見どころ
見どころは、まず立派な社殿である。1649年、徳川家光によって建立されたもので、そのままの姿を今に残している。浅草界隈は関東大震災や戦災の被害を多く受けた地域で、浅草寺境内にも昔の建物はあまり残っていないため、この社殿は貴重な建物として国の重要文化財に指定されている。本殿、幣殿、拝殿からなり、本殿と幣殿が渡り廊下でつながっている権現造りという建築様式だ。平成8年に彩色と漆が塗り直され、色鮮やかな姿が蘇った。
社殿の右側にある神輿庫にも注目したい。扉に刻まれた社紋は3つの網をデザインしたもので、創建に大きな功績があった三柱の神を象徴している。普段は閉じられているが、内部には、三社祭で使われる3つの神輿、「一之宮」「二之宮」「三之宮」が収められている。神輿庫の扉は、三社祭り期間はもとより、お正月、春先の土日祝日などにも開かれ、神輿を見ることができる。
三社祭に先立つ行事として「浅草寺本尊示現会」も行われる。檜前兄弟が観音像を引き上げたのは3月18日の朝とされるため、その日に合わせて3柱の神をお乗せした3基の神輿を浅草寺の本堂に運び入れ、観音様と対面していただくという意味を持つ行事だ。
3月17日の夜、神輿は浅草神社の神輿庫から出され、担がれて浅草寺の本堂の階段を駈け昇り、ご本尊の観音様の前で一晩過ごす。翌18日には本堂から下げられて境内を渡御する。この一連の行事は「堂上げ、堂下げ」と呼ばれ、わたしも2日間通ってつぶさに拝見したことがある。お寺の本堂内に神輿が並ぶ光景など、めったに見られるものではない。
境内にはまだまだ見どころがあるが、わたしが特に好きなのは、二基の狛犬が身を寄せて並ぶ「夫婦狛犬」だ。通常狛犬は参道を挟んで左右に立つもので、このような形は珍しい。造られたのは江戸時代初期とされ、恋愛成就、縁結びなどの御利益があるとのことだ。
古今の著名人に由来する石碑も多くあり、特に珍しいのは「こち亀石碑」だ。少年ジャンプに連載のマンガ「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の主人公両津勘吉の碑である。両さんは実は亀有ではなく浅草出身で、子どものころの遊び場がこの神社だったというエピソードにちなむ。
社殿の裏側に回ると、被官稲荷神社という末社もある。1855年、江戸末期の侠客、新門辰五郎の妻が重病で床に伏したが、京都の伏見稲荷大社に祈願したところ、病気は全快した。その翌年、町の人がお礼の意味も込めて伏見稲荷大社から祭神を分霊し、こちらに祀ったという。被官という名称から立身出世のご利益があるとされ、今も熱心にお参りする人を見かける。
社殿はこの時に建てられたものがそのまま残っている。一間社流造という珍しい様式で檜皮葺。小さいが風格ある貴重な建物で、保護のための覆い屋も建てられている。稲荷神のお使いとされる狐の像が何体もあり、台座に昔の歌舞伎役者たちの名が刻まれたものも見かける。芸能の神様としても信仰されていたということである。お参りの際に小さな狐像を奉納する風習もある。たいへん可愛らしい像なので、家に持ち帰ってお祀りする人もいるようである。
浅草は、この神社ひとつ取っても、歴史が奥深く興味が尽きない。古くから続く老舗の飲食店も多いので、東京観光の際にはぜひ時間をゆっくり取って、あちこち訪ねていただきたい。