雑味か複雑味か?

蔵に億円単位の投資をした挙げ句、スパークリングワインが可愛く見えてくるほど面倒なスパークリング日本酒を造る。それって本当に必要なことなのか? 国際化と高付加価値化というものには、そこまでの価値があるのか? スパークリング日本酒でないとダメなのか? 湧き上がる疑問をぶつけると、対馬さんは目を丸くした。

「どうかな? うち大丈夫かな?」

と、周囲に聞く。冗談とはわかりつつも、ちょっと本当に不安になっていると

「これしかないとおもってます」

と言い切った。

「20世紀の終わりごろ、日本のウイスキーってやっぱり苦戦していました。それが、ハイボールという新しい飲み方を提案するとともに、海外のコンペティションで高い評価を獲得する高品質な作品を生み出し、いまがあります。日本酒にこれと同じようなムーブメントを起こすきっかけをつくるために、私たちは投資し、経験を蓄積しているんです」

『アラン・デュカス スパークリング サケ』は、まさにその使命を背負って生まれた橋頭堡。

「きっかけは亮庫が「SAKE COMPETITION2017」で若手杜氏No.1に贈られる『ダイナーズクラブ若手奨励賞』を獲得したことです。ここから、アラン・デュカスさんとの関係が生まれ、新しい酒造りが始まりました」

しばらくの交渉のあとで、アラン・デュカスグループのシェフソムリエ、ジェラール・マルジョンさんが、山梨銘醸を訪れたのは2018年。山梨銘醸の酒をすべてテイスティングし、白州が誇る自然を巡った。その後、マルジョンさんから、いくつかのキーワードが送られてきた。

「それらは抽象的なものばかりでした。そのなかで一番、明確だったのが『日本らしくかつ、世界が納得するSAKE』というキーワード。日本らしさというのは、日本人ですし、いくらでも思いつきます。樽を使った日本酒をいくつかやっていましたから、今回は、桜の樽を使おう、というところまでは、まぁ良かった」

難問だったのは、世界が納得する、という部分だった。

「世界を驚かせるなら、トリッキーな酒は造れます。でも、納得するっていうのは、そういうことじゃない。美食家が、日々、食べたり飲んだりを繰り返す中で、その相棒として選ぶ、という意味だとおもいます」

亮庫さんはだから、日本酒をより懐深いもの、よりフードフレンドリーなものにする必要がある、と筋道を立てた。

「日本におけるお酒のトレンドは柔らかく、なめらかな口当たりのものです」

しかし、香りも味わいも、ふくよかに甘みのある純米大吟醸のような酒は、ペアリングで相手を選ぶのは前述の通り。かといって、スッキリしすぎていたら、それはそれで、食との相性が限られてくる。既存の日本酒の価値観では「世界が納得する」を満たす酒がない。

「そこで私が注目したのが、ワイン好きが複雑味といって評価する概念です。これは日本では雑味、といってむしろ嫌われるものに近い。しかし、それこそ追求すべき対象だと考えたのです」

結果、リンゴ酸を出す酵母を使った日本酒で酸味の骨格をつくり、そこに、桜の樽で熟成した日本酒、そして、水と酒から造る酒「貴醸酒」をブレンドすることで複数の層を生み出す、という青写真を描き、これを先述のひたすらにめんどくさいスパークリング日本酒として完成させていった。

まず納得してもらうべきマルジョンさんは、どういう反応でした?とたずねると

「試作段階から完成品にいたるまで、ダメ出しされることはありませんでした」

と、北原兄弟は言う。これは謙遜しての発言なので、マルジョンさんのテイスティングコメントを筆者は転載することにする。

「このスパークリング日本酒は、山梨の水のように透明で、きらめく水晶のようなものです。香りは複雑で、3段階で表現される3つの異なるアロマを放ちます。トップノートはスズランの花の香りです。その後、つる桃、メロン、ホワイトチェリーなど、より複雑でフルーティなミドルノートが続きます。サードノートはカルダモンとチリの香りが強烈。心地よいのど越しのお酒です。泡は細かく、印象的でダイナミック、シルキーでエネルギッシュな口当たりです」

つまり、この酒の正体を見抜いた上で、納得したのだ。

日本酒のテロワール

と、ここで原稿を終わらせては、一番大事なところが抜けてしまう。いくら高度な技術が使われたとしても、どんな関係性があったにしても、画竜点睛を欠く酒に、アラン・デュカスグループのソムリエがこれほどのコメントを寄せることはないからだ。

「ワインの造り手たちから、私がもっとも学ぶことは、テロワールの哲学です。自らの立つ土地への愛情、誇り。これを日本酒に置き換えたとしたら、それは水です」

日本は水に困らない。井戸水、湧き水を人間が飲める。そんな場所は、世界にそう滅多にあるものではない。

「酒を造るだけでなく、米を作るにも、蒸すにも、洗うにも、水を使います。それは山から来る。私たちの場合、南アルプスで濾過された水です。それが私たちのテロワールだと、私たちはブランディングできます」

その確信は、今回、パリ、モナコを巡って、より強固なものになったという。山梨の水が生んだ酒は、海外のファインダイニングで、ファインワインに引けを取らない。その手応えを感じている。

「七賢は、1750年から今日まで続いているブランドです。何百年と続いてきたのは、地元の人々、これまで酒と酒に関わるものを造ってきた人々、それを流通させてきた人々のおかげです。これを継承することこそが、いま、私たちの最大の目的です。変わらないために変わる。継続には革新が必要な時があるはずです。いまは、山梨に引きこもって、ひたすらに酒を造り続ける時ではないのです」

無理矢理にでも外に出る。そう、対馬さんは言って、亮庫さんとともに「ベージュ アラン・デュカス 東京」でのペアリングイベントへと向かっていった。