田舎のビジネスを活性化
一方でこうも考えた。
「田舎をよくすると思ったけれど、無限にお金が出てきて自然環境の保護などにお金を使えるわけではないし、お金をばらまけば幸せになるかと言えばそんなこともない。結局のところ、田舎のビジネスが元気にならない限り、活性化されることはないんだろうなと思いました。そう考えたとき、役人は法律や国会答弁を書くのはうまくなっても、ビジネスをよくする本質がつかめない。いったんビジネスの勉強をしたいと考えました」
入省してから丸8年が経った頃、コンサルティングの会社に身を投じた。不動産、金融、流通、さまざまな業界の企業を対象に業務に励んだ。
「目の前のお客さんのビジネスをよくする仕事は面白かったです。楽な仕事は1つもなかったけれど、知的にはチャレンジですし」
それでもくずぶる思いがあった。
「40歳の手前に思ったのは、やっぱり田舎をよくする仕事につきたいということでした。コンサルティングの会社に行った頃から百名山の完登を目指し始めていて、各地の山に行ったり、スキー場もまわったりしていました。そこで感じたのは、自分がいちばん最初にスキーにはまった90年代と比べると、ものすごい寂しい状況なのだな、ということでした」
そんなとき、スキー場を運営する会社が中途採用の募集をしているのをホームページで目にする。
「日本スキー場開発という全国で8つのスキー場を保有している会社です。入社したその日に子会社である白馬観光開発に出向させてもらいました。当時白馬観光開発は3つのスキー場を運営していた会社です」
その中に岩岳も含まれていた。
長年あたためていた思いをかなえる場をようやく得ることができた。そのとき「白馬を」と考えたのは、もともと白馬に魅力を感じていたからだという。
「いちばん最初に来たのは役所に入った1年目なので2000年頃です。そのときはなんとなく『すげえな』くらいの感じでしたが、ブランクがあって2010年くらいに来てからは毎年1、2回、必ず来ていました。ブランク開けに来て感じたのは、この山の眺めを見て滑れば滑るほどスケール感が桁違いであること。町もこぢんまりとして面白そうな町だな、とも思いました。『ここか野沢温泉で仕事したいな』と思ったのを覚えています。野沢温泉もスキー場は面白いし、町もいいですよね。
白馬に戻ると、スキー場として白馬に勝てるところは個人的にないと思っています。1個のスキー場という意味ではなく、白馬のスキー場はすごい」