恋が叶うジグムントの鐘
ヴァヴェル城は、11世紀に歴代ポーランド王の居城となり、敷地内には王宮や三つの礼拝堂をもつ大聖堂が建てられた。大聖堂では国王の戴冠式が行われ、地下墓所には歴代の国王や、ポーランドを代表する歴史的偉人が埋葬されている。
大聖堂の北側の、金のドームを抱くジグムント礼拝堂の塔には、重さ11トンの巨大な鐘がつるされている。この鐘は1520年に、ジグムント1世大王の命によって作られた。大王の名にちなみ、「ジグムントの鐘」と称される。
ポーランド広報文化センターのFacebookによれば、ジグムントの鐘を鳴らすのは、重要な教会の行事と国家行事のときだけで、その数は年に30回ほどだという。
このジグムントの鐘を左手で触ると、恋が叶うという。
ズビグニェフ・イバインスキ(Zbigniew Iwanski)著『クラクフの伝説』の「バベル城とクラクフ大聖堂 鐘とその心についての伝説」には、その由来となる伝説が詳しく述べられているので、要約してご紹介しよう。
悲しい片思いに悩む、一人の娘がいた。娘の父親は、ジグムントの鐘を鳴らす仕事に就いていた。巨大なジグムントの鐘を鳴らすには、8人の男性の力が必要であったのだ(ポーランド広報文化センターのFacebookによれば12名)。
ある日、娘は父親に会うために、鐘が鳴らされている大聖堂を訪れた。彼女は、片思いの悲しさ以外、何も考えられなくなり、心細くなっていた。娘は鐘の音を聞きながら、父親が仕事が終わるのを待った。
心配した父親が仕事を中断して娘の元に来ると、彼女は辛い恋を打ち明けた。
鐘が鳴り響くなか、父親は娘を励まそうと、「鐘の心に気持ちを重ねてみるといい。鐘の音は、我々に幸せと恵みを与えるために響いているのだから。君の心が鐘の心に負けないくらい強ければ、夢は叶うかもしれない」とアドバイスをした。娘は父親の言葉を、真摯に受け止めた。
ポーランド語では、鐘の内部の鈴の部分を「心臓」、もしくは「心」という。鐘が鳴り止むと、娘は「心」である鐘の鈴の部分に頬を寄せ、「私の心が、鐘と同じように強くなりますように」と神様に祈り、「愛する人が振り向いてくれますように」と深く願った。
娘は、その後も何ヶ月も祈り続け、ついに片思いの相手と結婚することができたのだ。
娘はこの体験を皆に話した。この話は人伝に広まり、若い女性は恋を実らせようと、大聖堂を訪れた。それは今日まで続き、最近では数多くの男女が、心臓がある左手で鐘に触れるという。
どんなに状況が悪くても、強い信念と心は奇跡をおこす。この伝説は、そんなことを私たちに教えてくれる――そんな言葉で「バベル城とクラクフ大聖堂 鐘とその心についての伝説」は結ばれている。
日本で暮らす我々は、ジグムントの鐘に触れることは容易ではないが、鐘のような心と強い信念は奇跡を起すと信じて、不穏な世の中を乗り切っていきたいものである。