6.世界の心の王妃期:人々をケアし、癒す「心の王妃」になるはずだった

 豪華なドレスを売り払ったあとは、スーツスタイルや、カジュアルなシャツスタイルが増えていく。この時期にはマザーテレサとも交流をもち、チャリティ活動を精力的に行っている。ダイアナ妃は、そもそも80年代から、触れただけで感染するという偏見を持たれていたエイズ患者にも直接触れ、差別されていた人々も抱きしめて、傷ついた人々を世界各地で癒していた。離婚後はそうした慈善活動により力を入れていくのである。

1988年、アルバニアの切手になったマザー・テレサとダイアナ妃。マザーテレサと友情を交わすダイアナ妃は、慈善活動にファーストレディー風な側面とユニセフ的な性格を取り入れ、イギリスの文化大使を超えて世界を飛び回るスーパースターになった

 愛情を表現するために着たドレスは、「慈愛のドレス(ケアリング・ドレス)」と呼ばれる。明るい花柄で、病気の人たちを明るい気持ちにさせたり、半袖で手袋をつけず、直接、子供たちに触れたりした。おもちゃのネックレスをつけたが、これも子供たちが触れて遊べるようにという配慮からだった。

1997年、アンゴラの地雷地帯に足を踏み入れたダイアナ妃 写真=ロイター/アフロ

 覚醒後の人道活動においてはシャツとパンツという活動的なスタイルがメインになった。ボスニアツアーや地雷撲滅キャンペーンは世界に配信され、世界中の人々の関心を高めることに貢献した。ボタンダウンとデニムパンツ、そしてトッズのドライビングモカシンというシンプルな装いで寛ぐダイアナは、ようやく自分自身の生き方を見つけた人の本物の穏やかさを湛えて、神々しい。

1997年6月、地雷撲滅キャンペーンの募金活動の後、マップルームで談笑するヒラリー・クリントンとダイアナ

 ダイアナ妃は生前、「現代の最悪の病は、多くの人が一度も愛されたことがないことに苦しんでいること」と述べている。彼女は誰よりも愛されたかった人でありながら、女性として愛してほしい人には愛されず、他者を癒すことで自分も癒されるという道を見つけ、ついには人間愛の道に進んでいったというように見える。

 ようやく自分の道を見つけかけた矢先、1997年の8月31日、パリでパパラッチに追われ、ドディ・アルファイドと共に事故で亡くなる。葬儀は、略式で執り行われた。本来、王室の葬儀は軍服、せめてフォーマルな喪服であるモーニングを着るのだが、「王室を出た」ダイアナの葬儀においては、イギリス王室の男性たちは平服であるスーツで参加した。ドキュメンタリー映画『プリンセス・ダイアナ』は、スーツを着た男たちが棺の後を黙って歩く葬列を、音もなく淡々と映して終わる。

ダイアナ妃の葬儀 写真=ロイター/アフロ