なぜ、フランチャコルタは世界最高峰のワインでありながら、他の高峰に比して、難しくないのか? なぜこうもあっけらかんとしているのか? その疑問はふたりの若者との出会いで解決した。
フランチャコルタ現地取材、最終回。
疑問の解消
ここまで、なかなかスッキリしない僕の疑問が解消したのは、先に言及した『リッチ・クルバストロ』においてだった。
ここで醸造を統括するリッカルドさんのワインは、細いガラス繊維を編み込んだかのように、精密で繊細だった。リッカルドさんの醸し出す、威厳ある、ちょっと神経質そうな雰囲気がワインにも表れている。
とはいえ、これだけ繊細であるにも関わらず、そこには鋭利な刃の上で綱渡りするようなハラハラドキドキさせるドラマチックさはない。
またしても「なぜ?」とおもう僕に、答えをくれたのは、リッカルドさんの息子のひとりで、おそらく、ここのワイン造りを継ぐであろう醸造家、フィリッポさんだ。現在27歳。フランチャコルタの次世代だ。ニュージーランドやボルドーといった高級ワイン産地で修行も積んできた若者。世界のドラマチックなワインを体験してきたであろう彼であれば、父がここまで素晴らしいものを築き上げたその先に、自分ならこんなワインを造りたい、父のワインをこう変えていきたい、といった、野心があるのではないか? と期待した。
しかし「あなたならどんなワインを造りたい?」という質問への答えは「えー。でもまだ僕は修行中の身の上ですから」という実に謙虚で求道的なものだった。日本の職人のお弟子さんか……
そこで「お父さんのワインは好きですか?」 と聞いてみると「好き!」と即答。そのくったくのない笑顔が眩しい。つられて僕も「リッカルドさんのワイン大好き!」と答えそうになって 、いやいや、そうじゃなくて……
フィリップさんは、僕が腑に落ちていないのに気づいたようなのだけれど、その顔は僕の疑問がいかに、彼の人生に無縁なものかを物語っていた。
それで「ああ、そうか」とおもったのだ。
フランチャコルタが現在のフランチャコルタになったのは確かにいまから50年程度前のことでしかないにしても、結局、この地の農業、ワイン造りは、もう何百年とつづいているのだ。そのなかで、様々な偶然から、いま、そもそもこの地の人々のものづくりへの誠実さが、高品質なスパークリングワインの造り手として花開いているにすぎない。
実直な農業は、この地の人々が弛みなく受け継いできているもの。本流はそちらにあるのだ。