もともとはトレントはロヴェレートの貴族だったピッツィーニ家はモーツァルトと親交があり、彼をサロンに招いていたような名家。1821年にラーナ家との婚姻関係が縁でフランチャコルタに移り、ワイン造りもしていたのだけれど、フランチャコルタエリア初にして唯一であり現存もするゴルフコースをつくる、フェラーリのエンブレムの発祥にかかわる、などといった華々しい逸話(HPで見れるhttps://baronepizzini.it/en/mission/history/)がありつつも、戦後になるまでワイン造りに本腰をいれることはなかった。

貴族とワイン

「フランチャコルタは貴族が土地を持っていたのですが、ワインに可能性をみていた人はいなかったのだとおもいます。」

というのは再び『バローネ・ピッツィーニ』のシルヴァーノさん。このバローネ・ピッツィーニも、バローネ(男爵)という称号からもわかるように、貴族の家系だ。

同様の発言は『リッチ・クルバストロ』のオーナー醸造家、リッカルド・リッチ・クルバストロさんからも聞けた。こちらは13世紀にローマ教皇庁の勢力と神聖ローマ帝国が対立したことで、先祖がフィレンツェを追われた、という由緒正しい貴族の末裔で、一族はロマーニャ地方を経由して19世紀にフランチャコルタにやってきたという。

「父は1967年にフランチャコルタがDOCになった際の、最初の11人の生産者の一人ですが、農園経営のほかにも、アリタリア航空の経営陣でした。祖父は軍人です。ワイン造り一本に絞ったの、私の代になってからです。」

『リッチ・クルバストロ』のワイナリー。フランチャコルタ以外にスティルワインも造っていて、目の前には赤ワイン用の畑がある。ワイナリーには19世紀に使われていた歴史的なワイン造りの道具が展示されている小規模なミュージアムを併設している。

イタリアの貴族制度は1948年に制度的にはなくなっているけれど、貴族の末裔は、この国では社会的需要があった。たとえば農業。広い土地が必要であり、その土地をマネージメントするノウハウが必要である。領主である貴族との相性がいいのだ。

さらにフランチャコルタはその規格上、熟成期間が最短でも18カ月。リゼルヴァと呼ばれるタイプのフランチャコルタならば最短60カ月となる。これはつまり収穫したブドウが1.5年は売れない、ということ。その熟成期間中に次の年のブドウの収穫もあるから、1年に20万本のワインを生産する『リッチ・クルバストロ』であれば、少なくとも40万本分はワインの貯蔵能力が必要になる。そして、実際にはさらにその20万本増しの60万本分の貯蔵能力を誇る。

『リッチ・クルバストロ』の地下ワインセラー。ぎっしりと、そして整然と熟成中のワインが並ぶ。このあたりのワイナリーでは、こういった地下セラーは珍しくない。

高品質なスパークリングワインを安定的に造る、というのは、ワインを安定して保管できる広い場所とワインがお金に変わるまでの間を、少なくとも商売がペースに乗るまでは持たせられる資金力が要るのだ。ここでも、貴族のような、そもそもの蓄えがある存在が、ほとんど不可欠になる。

そして、こういうフランチャコルタの成り立ちと、その有り様を、ハッキリ示しているのが、フランチャコルタ最大手ワイナリー『ベラヴィスタ』のストーリーだ。

つづく