フランチャコルタはイタリアのいいものである。
「そもそも、シャンパーニュは栽培面積で3万4000ha。約5000のメゾンが1年に3億本近いワインを造っていますよね? 対してフランチャコルタは3000ha程度、120のワイナリー、年間生産量は2000万本に過ぎません。まったく比較にならないほど小さいんです。」
つまり比較には意味がない、と? しかし、フランチャコルタは同様に都会的でラグジュアリーなイメージがありますよね?
「フランチャコルタが瓶内二次発酵のスパークリングワインとして、スタートしたのは1961年。DOCフランチャコルタとなったのは1967年です。『バローネ・ピッツィーニ』はフランチャコルタを早いタイミングから始めた造り手ですが、それでも最初の商品を発売したのが1971年。そういう歴史が浅い後発の産地として、高品質なワインを目指すからこそ、自らに厳しい基準を課しているんです。そして、フランチャコルタの造り手は真面目で、自らのワインを研ぎ澄ますことに余念がありません。こういう産地は、世界中を見てもなかなかないんです。だからフランチャコルタはイタリアが世界に誇る「いいもの」。それが、他のイタリアの「いいもの」と一緒にあるのは自然なことではないでしょうか?」
シルヴァーノさんが言う、1961年というのは、醸造家フランコ・ジリアーニがグイド・ベルルッキという貴族とともに瓶内二次発酵によるスパークリングワイン「フランチャコルタ」を初めて生み出した年を指す。
この時期に、フランチャコルタの基礎が確立したのは、ミラノの経済的な巨大化と関係がある。
シャンパーニュというワイン産地が、ルイ15世やナポレオン、そしてロシア貴族といった庇護者なしにそのブランドを確立し得なかったのと同じように、フランチャコルタはミラノなくしてはあり得ない。
「Miracolo economico italiano」訳して「奇跡の経済」。1960年前後数年からのイタリアの高度経済成長を指す言葉だ。1973年のオイルショックくらいまでイタリアの経済は伸びまくった。
そのイタリアの都市、ミラノの富が投じられたことでフランチャコルタは花開いたのだ。
フランチャコルタは痩せた土地である
そもそも、現在フランチャコルタとされている土地は豊かな土地ではない。というよりも歴史的にこのあたりは貧しかった。
なにせ、いまも残っているサン・ピエトロ・イン・ラモーザ修道院に11世紀頃からいたクリュニー派の修道僧たちは、このあたりは貧しいから免税してくれ、ということでここを免税地域とした。それが、フランチャコルタの名前の由来で、イタリア語で「免税」を意味する「フランカ」と「地域」を意味する「コルテ」が組み合わさってコルテ・フランカ。それが転じてフランチャコルタとなった、と言われているのだ。歴史的にはフランチャコルタの名が初めて記されたのは、1277年だという。
何が貧しいかといえば、土地が痩せている。
フランチャコルタと言われるエリアは、北がイゼオ湖岸、西はオリオ川岸、南はオルファノ山の南麓、東は丘陵に接しているのだけれど、そこは何万年も前に氷がごそっと削った土地。なにせイゼオ湖の北はアルプス山脈だ。それで削り取られた土が、イゼオ湖の南の方にU字型に堆積している。
質的には多様な土壌がまざっているのだけれど、氷が解けて積み重なった土や石はスカスカで、水はけが良すぎる。そのため、小麦がよく育たない。これは地中海などにもいえることだけれど、小麦が育たないと、そこの人間を養うカロリーが足りず、人口は増えず、経済的にも貧しくなる。
ブドウはこういうところでよく育つ。だからブドウを、そして必然的にワインを造っていたエリアだったのだ。
とはいえ、そういうところから、その土地の力だけで、ラグジュアリーブランドが生まれてくることはあまりない。たとえば、このエリアには、世界屈指の高級ボートビルダー『フェレッティ社』の造船所や、漁に使う網を起源とする高級なサッカーやテニスのネットを産出する職人の村「ペスキエーラ」などもあるのだけれど、こういった地元の職人芸も売り手と買い手がいてはじめて、商品として洗練されていくのだ。
そして、ワインについていえば、この地域では日常的な飲み物として長らく造られていたものの、良いワインを造ろう、という発想は希薄だったようだ。