和田義盛ゆかりの地 

●和田塚

和田塚

 鎌倉に残るただ一つの高塚式古墳。和田合戦で敗死した、和田一族の屍を埋葬した塚と伝承される。「和田一族戦没地」と刻まれた石碑のほか、戦没者慰霊塔、大震災殉死者供養碑など複数の石碑が建つ。

 もとは「無常堂塚」と呼ばれていたが、明治34年(1901)には石碑が建てられ、「和田塚」と称されるようになったという(神谷道倫『鎌倉史跡散策 上』)。

 

●浄楽寺

浄楽寺

 神奈川県横須賀市芦名にある浄土宗寺院。鎌倉時代の仏師・運慶作の仏像5体(阿弥陀三尊、毘沙門天、不動明王 いずれも国指定重要文化財)が安置されている。

 このうち不動明王立像と毘沙門天立像の胎内から、運慶の月の輪型(しゃもじ型)の銘札が発見された。それによって、像は文治5年(1189)3月に、和田義盛とその妻小野氏(横山時広妹)の発願主をとして、青年期の運慶が小仏師10人を率いて制作したことがわかった。

 さらに、阿弥陀三尊の胎内の銘札の書体が不動明王立像と毘沙門天立像の銘札と同じことから、運慶が同時期に制作したことが確認されている。

 

●天養院

 神奈川県三浦市初音町に建つ浄土宗の寺。創建は永禄2年(1559)とされる。本堂の薬師三尊(県重要有形文化財)は、平安時代中期の作と考えられ、和田義盛が信仰していたとも伝わる。

 薬師像は、義盛の「身代わり薬師」として有名だ。

 和田合戦の際、義盛は負傷しても痛みを感じなかった。一同が不思議に思っていると、薬師像が顔から胸に傷を負い、血が流れたという。これを見た一同は、薬師の加護を念じ、懸命に戦い抜いたと伝えられる。