巴御前と本当に結婚した?
最後に、義盛と秋元才加演じる巴御前にまつわる逸話を、ご紹介しよう。
巴御前は、木曽義仲の愛妾といわれる女武者だ。その実在は必ずしも明らかでなく、『吾妻鏡』にもその名はみられない。
軍記物である『平家物語』や平家物語の異本の一つとされる『源平盛衰記』などに登場し、大力でありながら、髪が長くて色白の、優れた容姿の持ち主に描かれている。なお、一般に「巴御前」と称されているが、『平家物語』諸本には「巴」としか記されていない。
『源平盛衰記』巻第三十五「巴関東下向事」によれば、巴御前は木曽義仲に落ち延びるように諭されて、信濃に帰った。義仲の滅亡後、賴朝に出頭を命じられ、鎌倉に参上した。
頼朝は、巴御前の首を切るように命じた。それを知った義盛は、「巴の身柄を預かりたい」と頼朝に申し出ている。
頼朝ははじめ「巴は隙をみせれば、主君の敵であるわたしを討とうとする」として、義盛の申し出を却下した。
しかし、義盛は諦めなかった。
義盛は祖父・三浦義明が頼朝のために命を捨て戦い、一族も長い間、頼朝に忠実に仕えてきたことを語ったうえで、自分が巴御前の身柄を預かっても非道なことは起きないと強調、その結果、義盛は巴御前を妻とすることができたのだ。義盛の粘り勝ちである。
巴御前は男子を産んだ。それが、和田合戦で活躍した、義盛の三男・朝比奈義秀だという。だが、『吾妻鏡』には、和田合戦が勃発した建暦3年に義秀は38歳とあり、年齢的に合わないことから、史実ではないと思われる。
和田合戦の後、巴御前は越中石黒へ移って出家し、尼として、91歳の長寿を全うしたという。