今の時代、編集長は
黒子であるべきか?
――近年、メディアも個人も、ブランドとしての舵取りを迫られていますが、その中でご自身が前面に立つということについては、どうお考えですか?
新谷 それは大切な判断ですよね。
藤原 僕は基本的にYouTubeとか、動画はNGにしていますね。特に自分のことを喋るのは。でも、どっちがいいんですかね?
新谷 ケースバイケースですが、私は〝出るべきだ〟という決断に至りました。『週刊文春』をやっているときに感じたのは、出ないことのデメリットです。要は〝逃げている〟とか〝自分は顔を出さずに人のプライバシーに踏み込んでいる〟みたいな批判ですね。以前は編集長といっても異動のあるサラリーマンだし、個が立ちすぎないほうがいいかな、と思っていたのですが、今はちょっと考えが変わっていて。「私がこういう考えでつくっている雑誌ですから逃げも隠れもしませんよ」と言ったほうが、読者に届く時代なのかな、と。
藤原 確かに、『文藝春秋』や『GQ』のような雑誌は、編集長の顔が出た方がいいけれど、タレントが集まった雑誌で同じことをやっても邪魔になるだろうし、何をメインに据えるか、ですよね。
新谷 その通りですね。編集者って行司みたいなものなんです。左右からお相撲さんを呼んできて、その相撲の行司は編集者や編集長がやる。あくまで主役はお相撲さんだけれど、マッチメイクや、その取り組みを面白く盛り上げる役割は、我々が果たさなくてはいけないんですよね。なので最近はいろんなお話をいただくことが多くてありがたいのですが、単なる行司が出たがりに見えた瞬間に冷めちゃうので(笑)、ある程度お断りはしています。藤原さんだって、もう山ほど断っているわけですよね?
国旗の見える仕事はやらない!
アナーキストの矜持
藤原 まあそうですね。
新谷 断る率は何パーセントくらいなんですか?
藤原 いや、それほどでもないですよ。どうせ頼んでも断られる、みたいに思われているのか。でも空気を読めない人が頼んできたりして、それが面白そうだから引き受けちゃおう、というケースもありますし。
新谷 この対談だってそうじゃないですか(笑)。たとえば国家にまつわるような依頼はどうですか?
藤原 それはしないですね。
新谷 断られているということですか?
藤原 そうですね。国旗が見え隠れするような依頼は断ります。
新谷 例えば今回のオリンピックとか?
藤原 ……ありましたね。具体的には言えませんが。
新谷 それはスクープですね(笑)。
──ちなみにお二方は、昨年のオリンピックはどのように観られたんですか?
藤原 僕は基本的に観ませんでした。
新谷 私は当事者に近い形で、開会式にまつわるスクープを打ちました。だからMIKIKOさんバージョンの〝幻の開会式案〟を観たかったなあ、と。あのスクープは組織委員会の橋本聖子会長から強い抗議を受けて、販売差し止め、回収を迫られたんですが、それに対して私たちは「オリンピックは莫大な税金を投入しているイベントで、その検証はメディアにとって大切な役割であるし、国民の知る権利に応えるものだ」という回答を出したんです。雑誌も売れましたし、文春の姿勢を示すこともできましたね。
しんたに・まなぶ(編集者)
1964年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科を経て、1989年に株式会社文藝春秋に入社。『スポーツ・グラフィック・ナンバー』『マルコ・ポーロ』編集部、『週刊文春』記者・デスク、『文藝春秋』編集部などを経て、2012年に『週刊文春』の編集長に就任。圧倒的なスクープ力で、同誌を日本を動かすメディアへと成長させた。2021年7月に『文藝春秋』編集局長兼編集長に就任。創刊100周年を迎えた、文藝春秋社の看板雑誌の舵取りに注力する。
ふじわら・ひろし(Fragment Design)
1964年三重県生まれ。1982年頃からロンドンやN.Y.に渡航し、パンクやヒップホップといった最先端カルチャーの中心人物と交流を深める。1980年代前半からは東京のクラブシーンに新風を吹き込むミュージシャンとして、1980年代後半〜90年代前半からはストリートやアートに根づいたファッションを生み出すプロデューサーとして、東京のみならず世界のカルチャーシーンに絶大な影響を及ぼす。近年ではデザインスタジオ「Fragment Design」名義で、ロロ・ピアーナ、ブルガリをはじめとする世界的なメゾンブランドやナショナルブランドとのコラボレートを数多手がけている。