2代目への敬意

 さて、このように書くと、3代目は2代目の再建の際に改造された部分を単に初代の姿に戻しただけのように思えるが、決してそうではない。これはドーム内に入り、天井を見上げ、周囲を見渡すと一層よくわかるのだが、実は「復原」されたのは焼失した3階の床より上の部分だけで、それより下は全くのオリジナルのデザインなのである。

 ドーム内の天井には秀吉のカブトのキーストーン(アーチの最上部に嵌め込み、アーチを構造的に固める石)、干支のレリーフ、テラスのブラケットなど、辰野金吾がデザインした創建当時の意匠がとても美しく再現されている。これらのデザインに関するエピソードだけでも、もう1編書けそうだが、それはまた別の機会に譲るとして、今回注目するのは3階より下の意匠。

南口ドーム Kei365, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

 まずは柱。現在、銀色の仕上げになっているが、実際のところ、元の柱が何色だったか正確には分からなかったそうだ。しかも構造上、当初より太くせざるを得なかったこともあり、この柱のデザインは全くのオリジナル。しかも、明らかに後からデザインしたものと分かるように、あえてちょっと未来的なデザインにしたそうだ。柱の上部には改修した年「AD MMXII」(西暦2012年)が刻印されているのも気が利いている。

南口ドームの柱 写真=OiMax

 そして床。4種類の大理石によって美しい幾何学模様が描かれているが、これも単なるパターンではない。何を隠そうこれ、2代目のジェラルミン製のドーム天井の姿を床の上に転写したものなのである。

南口ドームの床 写真=Manish Prabhune

 つまり、2代目の天井を見上げた時の風景が、3代目の床として生きているということだ。初代の復原をしつつも、ちゃんと2代目のデザインへの敬意が感じられる、なんとも粋な計らいではないか。

2代目駅舎のジュラルミン製ドーム 663highland, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

 私はこの3代目《東京駅丸の内駅舎》の保存・復原における最も大切なポイントがこれらに現れていると思っている。それは、2代目の再建の際に改造された部分を、ただ単に“初代の姿に戻す”という「復原」に留まらず、新しいデザイン(しかも2代目への敬意も払いつつ)が施されているということ。これは“元通りの姿以上”に「進化」したと言っていいかもしれない。

 もし初代の歴史的価値のみを継承していくということであれば、オリジナルの姿を完全再現するように改修しただろうし、いざとなれば、明治村の帝国ホテルのように、移築、保全するという手もなくはなかっただろう(実際には不可能だったであろうが)。

 しかし、この《東京駅丸の内駅舎》では、その「駅舎」としての機能も継承しながら、丸の内そして東京の顔であり続けることを選択した。そして、そのためには時代のニーズに応えたアップデートも必要だと考えたのだ。実際、今回の「復原」では、国内最大規模の免震化工事が施されたことや耐火性の強化、バリアフリー化の促進など、未来を見据えた大切な改善がいろいろと見受けられる。

 歴史的価値の継承と新しい機能やデザインへの進化、このバランスをどう取るかということが非常に重要であることは間違いないが、それには確固たる信念や美学、哲学が不可欠であり、さらにはオリジナルの建築、そしてそれが存在する街に対する敬意と誠実さが何よりも大切なのではないかと私は思う。そういう意味では3代目《東京駅丸の内駅舎》は今後の建築や街の保存・復原に対し、偉大なメルクマーク(指標)になっているのではないだろうか。

 先にも書いたが、この《東京駅丸の内駅舎》が建つ丸の内界隈では、《東京中央郵便局》《日本工業倶楽部会館》《明治生命館》《第一生命館》などなど、明治・大正期に建てられた建築における、さまざまなタイプの「保存」「復原」そして「復元」方法を見ることができる。また、《東京銀行集会所》や《東京會舘》など、今は亡き名建築たちの跡地が、現在どのように変貌しているかも見どころとなっている。

 果たして、それらがどのような意図(もしくは思惑)によって現在の姿に至っているのか、これらについても、1つ1つ解説したいところだが、これもまた別の機会に・・・。

 いずれにせよ、今や多くの観光客を呼ぶ原動力にもなっているこれらの建築の美しさや価値に、より一層人々の注目が集まることで、東京そして日本の激動の歴史の証人とも言うべき素晴らしい建築たちが、いとも簡単に消えていく現代の動きに少しでも歯止めがかかることを願うばかりである。

写真=アフロ

 さて、スペイン・ボルハ市の修復事件。先にハートウォーミングな物語と書いたものの、実際はというと、実は今なお、オリジナルのフレスコ画を描いた画家の子孫は、キリストの画が台無しにされたまま復原されないことに大きな不満を持っているようだ。また、修復を手がけた女性自身も、大切な絵を台無しにしてしまって本当に申し訳ないことしてしまったと今でも思っているとのこと。確かに、いくら善意だったとはいえ、文化財を傷つけたことには変わりない。

 一体どのような状況になればハッピーエンドを迎えられるのか、もちろん今は断言はできないが、今後何十年か先、この壁画が今回同様、修復さざるを得ない状況に陥った時、果たして初代の『Ecce Homo(この人を見よ)』を蘇らせるのか、それとも今の2代目『Ecce Mono(このサルを見よ)』に戻されるのか、はたまた、全く別の新たな3代目キリスト像が描かれるのか、その時初めて、今の壁画の真価が問われ、本当の結末を知ることができるのかもしれない。