2014年2月11日、ソチ五輪スピードスケート女子 500mでの小平 写真=AP/アフロ

「ベストは尽くしたんですけど、届かなくて・・・悔しいけれどこれが実力です」

 試合のあと、涙があふれた。

 やれることはやった上での結果だったからこそ、同じことをしていても殻は破れないのではないか、きっと何かを変えなければならない、そう考えた。

 すると小平は行動を起こした。オランダに渡ったのである。オランダはソチ大会のスピードスケートで計23個のメダルを獲得したことが象徴するように、世界最強と言ってよい国だった。そこで学ぼうと考えたのである。

 現地には世話をしてくれる日本人がいるわけではない。何をするにしても自分で行なわなければならない生活を過ごした。当初はそれがストレスとなったが、やがて精神的なたくましさを育んでいった。

 むろん、競技の面で得るものは大きかった。2016年の帰国まで約2年過ごす中で、オランダの技術や練習方法など多くの財産を手にした。

 格段に強さを身に着けたことは試合が証明した。2016年から2019年にかけて、オリンピック、世界選手権、ワールドカップ、国内大会、あらゆるカテゴリーの500mで勝ち続け、37連勝を飾ったのだ。小平が打ち立てた金字塔である。

「人より、ちょっとスローな競技人生を歩んでいると思います」

 こう語っていたことがある。スローではあっても着実に成長を遂げた、いや、ベテランの域に入ってから驚くほど進化した歩みを支えるのは、やはり小平の途切れることのないスピードの希求と努力にほかならない。環境の変化が契機になったとはいえ、小平自身の姿勢がなければそれをいかすことはできなかった。五輪金メダリストの肩書をはじめとする成績もさることながら、この異例の歩みに小平の真骨頂がある。

 

北京では「今の私の生きざまを示せたら」

 昨シーズンは股関節の痛みに苦しんだが、オリンピックイヤーである今シーズンは復調。ワールドカップ第2戦で優勝するなど500mで好成績を残し、まずこの種目で五輪代表を確実にする。昨年末の代表選考会の1000mで優勝し、500mと合わせて代表入りを果たした。

「今の私の生きざまを示せたらいいかなと思います」

 心に抱く思いをこのように表現する小平は、抱負をこう語っている。

「純粋にスケートを楽しめることの幸せをかみしめながら迎えられるのが、北京オリンピックです。人生最高の滑りが発揮できると信じて、このまま駆け抜けていきたいです」

 足を止めることなく歩んできたその先にある4度目の大舞台を、小平奈緒は心待ちにしている。