「堅い靴だと足の負担が大きくなるため、怪我をしがちです。もともとスケートに怪我はつきものだったかもしれませんが、怪我の内容がかわってきたといいますか。しかも、靴に限らずブレードも硬いものを用いて反発力で跳ぼう、となってきています。道具の進化に頼りがちになっていること、そこから来る怪我が心配ですね。道具に頼らず、柔らかい靴で跳べるだけの体、技術を持っていないことが気がかりです」
体型の変化も橋口の懸念する点だ。
「今、『XO脚』の選手が増えています。昔ならX脚、あるいはO脚だったのが、膝から上がX脚、膝下がO脚という形です。生活様式の変化なのでしょうか? 原因ははっきりとは分かりませんが、その体型に合うような調整が必要になっています。インソールも関係してくるので、スキーのインソールを作っているところに教わりに行ったりして勉強しています。スケートの世界だけではなく、ほかの世界からも勉強して技術、知識を増やしていかないと」
機械を持参して海外に渡ったことも
スケーターのためにエネルギーを注ぐ姿勢は、店舗を開かず出張する方式をとった理由にも通底する。
「性格的に、じっとしているのが苦手で待つより動いたほうがやりがいを感じるので」
と笑うと、こう続けた。
「以前、新潟に引っ越したお客さんから、メンテナンスをしてもらう場所がないことを聞いたことがあります。それで出向いて調整すると、とても喜んでいただきました。メンテナンスをしてくれる人がいない地域はたくさんあります。すると宅急便で送って、送り返してもらって、どうしても3日以上かかります。もし不具合があれば、また送って送り返してのやりとりが必要になる。その期間、練習ができないわけです」
だから依頼を受ければ、車で駆けつける。九州にだって向かう。宇野昌磨の靴とブレードのメンテナンスのために、機械を持参してスイスに渡ったこともある。
「車の中で泊るのは慣れていますが、冬はやはり寒いですね。いや、夏のほうがしんどいです。作業をするとき閉め切って行ないますが、エンジンをつけると振動でぶれるから切ってしまうので、エアコンが使えないのです。冬は着込めばなんとかなりますから、まだ冬のほうがいいです」
現在開催中の全日本選手権、その先に北京オリンピックも控えるシーズンだ。
「試合に向けて調整するのもそうですが、メンテナンスはふだん、いい練習ができるようにすることこそ大事な仕事です。試合は練習の積み重ねの発表の場です。昌磨君について言えば、足回りはあまり不安な要素はないので、あとは昌磨君が納得のいく演技を。それだけが願いです」
全日本選手権は選手たちから依頼を受けていない。でも会場のさいたまスーパーアリーナに行くと決めている。
「全日本選手権に出場することを目標にしてきた選手たちがいます。もし何かあったら、という思うと、待機していたいんです」
晴れの舞台で悔いを残してほしくないという思いがあった。
「いつも思っていることですが、僕たちはトイレットペーパーみたいな存在です。必要のないときは鼻をかむのにも足りないような存在ですが、必要なときにはないと困るものです」
笑顔でこう語った橋口は、言葉を続けた。
「サッカーも野球もそうですが、道具を使うスポーツには道具担当のスタッフがいると思います。フィギュアスケートは、まだそういう部分の認知が不足しているようにも思います。地方では、先生が全部やっているところも多いですが、先生の技術が追い付かなくなっていたり、あるいは先生が引退してやる人がいないケースもあります。メンテナンスの問題から、伸び悩んでいる子がいるかもしれません。みんなにもっとうまく、強くなってほしい。そのために役に立ちたいと思っています」
橋口清彦(はしぐちきよひこ)
中京大学卒業。アイスホッケーを始めたのを機にスケートに触れ、リンクに勤務する中でスケート靴やブレードの研磨など、メンテナンスに取り組む。2020年2月に独立し、店舗をかまえず出張して職務にあたる形で取り組んでいる。