[いとをかし]な外観/[いとあはれ]なアプローチ
この美術館は、1941年(昭和16年)、実業家で、政治家、茶人でもあった初代・根津嘉一郎氏が所蔵した日本・東洋の古美術品コレクションを保存・展示するために開館した。戦災で失われた本館の建物は戦後、今井兼次と内藤多仲によって1954年(昭和29年)に竣工。1990年(平成2年)の新しい展示棟の増築を経て、2009年(平成21年)、隈研吾によって現在の本館が建築される。
同館は尾形光琳の『燕子花図屏風』をはじめ、国宝7件、重要文化財88件、重要美術品94件を所蔵している。また茶室や薬師堂、石仏・石塔・石灯籠などが点在する、自然の傾斜を生かした日本庭園を散策することもできるため、ここを訪れることで様々な「日本文化」を十二分に堪能することができる。
そして、なんといってもこの美術館は、建築が[チョーエモい]。
もし紫式部や清少納言がタイムスリップして、この《根津美術館》を訪れてくれたならば、必ず[あはれ]、[をかし]と詠んでくれるはず。そして、十二単の彼女達がここで記念撮影すれば、さぞや[映(ば)える]だろうし、それをSNSにアップしたら[バズる]こと間違いなし、と私は勝手に妄想してしまう。
まずはその圧倒的な存在感の大きな屋根。一見シンプルな切妻屋根なのだが、よく見ると、棟瓦や鬼瓦といった、いわゆる和風建築によくある瓦屋根の特徴は排除されている。さらに、軒先に鉄板を用い、非常に薄くすることでそのシャープさが増している。瓦葺きの鈍重さを感じさせないこの軽快さは[いとをかし]である。
そして、正門から美術館エントランスへと続くアプローチ。実はここは私が最も[エモい]と思っている空間でもある。
来館者を敢えて通らせる長い通路(40m近くある!)は、日本庭園の形式の1つである「露地」のようであり、道路の喧騒を遮断する竹の植え込み、和風住宅のような丸竹の壁、硯石のように見える石畳が作り出す空間はその静寂感とも相まって[いとあはれ]。
また、軒桁には斜めにカットされた亜鉛メッキのT字鋼、軒裏には無塗装の木毛セメント板といった工業製品を意図的に仕上げ材に使用している潔さは[いとをかし]。
これらは[いとあはれ][いとをかし]から更に時代を経て生まれた[侘び][寂び]という言葉も想起させる秀逸な「日本的空間」だと私は思う。
日本の美意識の空間
さらに館内に入っても[エモさ]は続く。
外観の屋根の形をそのまま反映させた天井は庭園に向かって勾配し、内部と外部が連続したような一体感があってとても清々しい。その仕上げには薄く加工した竹を貼り付けたものを使っているのが、これまた[いとをかし]である。
この空間の開放性、快適性は何と言っても庭園との閾となる大きなガラスの開口部による効果が大きい。それはまるで庭園を絵画として切り出している額縁のようである。まさしくそこに『燕子花図屏風』があるかのように[いとあはれ]。
それは「庭と建築とアート作品とがひとつに融合した状態をつくり出そうと考えた」という隈研吾の言葉通りである。
私はこれまで何度も外国人観光客に東京の建築を紹介することがあったのだが、その際には必ずここ《根津美術館》を訪れ、「日本の美意識の空間」の1つだと説明する(ちなみに、併せて、槇文彦の《ヒルサイドテラス》や谷口吉郎の《乗泉寺》なども紹介する)。
彼らはこの美術館の空間にとても感激して、いろんな角度から写真を撮りまくる。果たして、彼らが、[あはれ]や[をかし]また[侘び][寂び]をどこまで理解してくれているかは正直わからないが、何か自分達と違う美意識の空間に魅了され、とても楽しんでくれていることは確かである。
残念ながら、
さて、今年の『新語・流行語大賞』、