資本がたっぷり流入することで、質は向上し、経済価値は上がるが、もとからあったものが追い出されてしまう現象、と言い換えてもいい。ガイ・リッチー自身も、かつてディズニーの『アラジン』を撮ったときには「ジェントリフィケーションがおこなわれた」と批判されたことがある。潤沢な資金をもつスタジオの仕事をしたことで、英国映画界のアンファンテリブル(恐るべき子供)と呼ばれたころの毒気が浄化されて、万人受けの「すてきな」映画を撮ってしまった、という含みである。それがカチンときたのかどうかわからないが、本作では、かつての毒気を取り戻し、富裕なアメリカ人によるイギリス紳士世界の「ジェントリフィケーション」を描いているのである。
イギリスのカントリーサイドに大邸宅をかまえる貴族は、広大な土地を所有するものの、実はお屋敷の維持管理が十全にできるほどの経済状態にはなく、屋敷の改修費もままならないほど困窮していることが多い。一部の貴族は、邸宅の一部を公開して観光客に見せて金をとり、自分たちはお屋敷の片隅の部屋でひっそり暮らしている。壮麗なお屋敷を見学すると、「プライベート」と書かれた立ち入り禁止部屋を見つけることがある。その奥にお屋敷の主と家族が暮らしているというわけである。
この映画のなかでは、アメリカの麻薬王が、この困窮した貴族たちを「ジェントリファイ」するのだ。この仕組みが痛快なのである。詳細を書くとネタバレになるので曖昧にしておくが、とにかく、富裕なアメリカ人が困窮する英国貴族に資金を流し込むことで、荒廃しかけていた貴族のお屋敷は改修され、価値を上げる、つまりジェントリフィケーションがなされるのである。結果、お屋敷の体裁と英国貴族としての体面は一時的に保たれるが、その内実はぼろぼろで、英国貴族などいなくなっていく未来が見える。代わりに住むのはおそらく、ジェントリフィケーションを行いながら虎視眈々とそのお屋敷を狙っていた富裕なアメリカ人であろう……。
アメリカ人による、英国紳士世界のジェントリフィケーション。これを描くガイ・リッチー自身が、準男爵の爵位をもつマイケル・レイトンの継息子なので、いわば「身内」に向けた皮肉のようにも見える。ブラックな笑いが誘われる。
「ジェントリフィケーション」によって救われたサヴィルロウ
現実の世界においても、ジェントリフィケーションという視点を入れることで見えてくる風景がある。たとえば、クラシックな英国スーツの聖地、ロンドンのサヴィルロウである。パンデミックによってスーツが世界的に着られなくなり、地価の高いサヴィルロウにあるテーラーたちは存続の危機下にあったはずである。テーラーが散り散りになってもおかしくはなかった。しかし、この地の文化と、それが生む価値は、守られた。守ったのは、ノルウェーの1.1兆ドルの政府系ファンドである。このファンドが、400年近く前からサヴィルロウなどロンドン中心部の不動産を所有するポーレン・エステートの最大株主なのである。
映画「キングスマン」(2014)で有名になった「ハンツマン」のオーナーも、2013年以降はベルギー人のヘッジファンドマネージャーである。老舗テーラーを斬新なスパイ映画の舞台にするという冒険ができたのも、オーナーがハーレー乗りのベルギー人だったゆえなのではないか。この映画の効果によって、英国スタイルのスーツのイメージがアップデートされた。
つまり、極端な表現であることを承知でいえば、北欧やベルギー、そして中華系のマネーが、「クラシックな英国紳士スタイルの世界」なるものをジェントリフィケーションし続けている、という見方ができるのではないかということである。
おっと、連想が飛躍しすぎてしまった。英国文化ファンにとってはそれほどインスピレーションに満ちていた映画ということである。
土地持ち貴族はじめ、イギリスの各階級の人々に対する痛烈な目線、敏感すぎる人種差別に対する皮肉、「ベニスの商人」式リベンジなど、リッチー印のぎりぎりの笑いで、頭と心の弾力と抵抗力を鍛えてください。