ゲスな私立探偵、フレッチャー(ヒュー・グラント)は映画好きという設定で、1970年代の映画監督風スタイルで登場する。ハイネックセーターに着古したレザージャケット、クロコのブーツにレイバンのウェイファラーという、こてこてな70年代風である。そのうえ、サングラスの色がグレーがかったパープルときているので、いかがわしさを最大限に醸し出している。この嫌われ役を演じているのが、かつてはロマンティックコメディの貴公子だったヒュー・グラントであるということに、往年のファンは少しの痛みとともに人生の長さを思う。アジアのロマコメスター、ヘンリー・ゴールディングもこの映画では中国のチンピラ役で、ファンの落胆を思うと心が沈む。
出色なのが、ストリートギャングや彼らのコーチ(コリン・ファレル)が着るトラックスーツである。英国スーツに使われる古典的チェック柄にひねりをくわえた柄物の生地で作られたトラックスーツなのだ。映画用に生地から作りあげたという。これが妙に新鮮で、いいな、私もほしいなと思っていたら、映画にヒントを得たトラックスーツを販売するECサイトを発見した。ウクライナの「MG」というブランドが、チェック柄のトラックスーツを作って販売していた。イギリスではロンズデールというスポーツブランドがすでにこの手のウェアを作っている。映画のなかでは下層階級のギャングのユニフォームのように着られているが、英国の階級とは紐づかない他の国では、ワンマイルウェアとして人気が出そう。
特徴あるメンズウェアの面白さをひときわ引き立てるのが、「コックニーのクレオパトラ」ことミッキーの妻ロザリンド(ミシェル・ドッカリー)が着る大胆なハイブランドの数々。肩がシャープなバルマン、ラルフ・ローレン、キャロリーナ・ヘレラなどを、赤い靴底のルブタンのハイヒールでシャープに着こなす。夫に「I love you」と言われるたびに「もちろんそうでしょ」と高みから返す肝の据わった振る舞いは、「ダウントンアビー」の長女メアリーの強さにも通じるところがある。こういう自信にあふれた女性に支配されるのが好きな「紳士」は、時代を超えて、実に多い。「あなた好みに」合わせるのが女性の美徳であるかのように歌われてきた日本では、こういう傾向をもつ「紳士」は少数派なんだろうか。
キーワードは「ジェントリフィケーション」
失礼、話がとんだ。そのように衣装だけでも語りがいのある映画なのだが、社会批判もなかなか痛烈である。キーワードは、セリフとして頻繁にでてくる「ジェントリフィケーション(Gentrification)」である。
ジェントリフィケーションとは、ある地域に富裕な階層が住み始めると、建物の改修や周囲の再開発が進んで地域の居住価値が向上する現象である。よいことばかりでもなく、元から住んでいた住民が家賃を払えなくなり転出を余儀なくされるという副作用も起きる。
たとえばNYのソーホーがよい例である。かつては倉庫だらけの廃墟だった。1950年代以降、そんな場所をおもしろがった画家やミュージシャンが住み始め、カウンターカルチャーの拠点になっていく。するとボヘミアン文化へのあこがれから富裕層が住み始める。結果、ソーホー全体の居住環境が改善されて家賃が上昇し、1980年代には高級住宅地になっていた。こうなるとかつて住んでいたアーティストたちは家賃が払えず、転出せざるをえなくなる……という皮肉な現象が生まれた。