レースとロックンロールの時代
初代マスタングの発表は1964年。64年いうたら、ビートルズが初めてアメリカに上陸した年でもあります。スピードとレースとロックンロールの時代です。
64年、キャロル・シェルビーはまだフォードGTのプロジェクトとは無関係で、コブラでル・マンにも出ていて、総合4位、GTクラス優勝を遂げる。シェルビーがアイアコッカを訪問してから、わずか2年での快挙でした。
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そこでフォードは、キャロル・シェルビーにフォードGTの開発とレース・マネジメントを任せ、ここからケン・マイルズがフォードGTのテスト・ドライバーもつとめることになります。
フォードがフェラーリを打ち負かすのは、結局66年まで待たねばなりません。4.7リッターのV8を7リッターに載せ替えた新しいレーシング・カー、フォードGT40 Mk2を3つのチームから8台も送り込んで必勝を期し、ついに栄光のル・マンの表彰台を1位から3位まで、フォード、フォード、フォードで独占するのです。
映画『フォード vs フェラーリ』では、こうした実話に、省略と強調を織り交ぜながら、キャロル・シェルビーとケン・マイルズの友情と努力と勝利の人間ドラマを描きます。それと苦い結末を。
当時のレースではほんとうに多くのドライバー、観客、関係者が亡くなりました。自動車レースはつねに死とともにあった。エンツォ・フェラーリは、息子のピエロに「ドライバーとは仲よくなるな」といい聞かせていたそうです。「明日、死ぬかもしれないから」と。
1969年までル・マン4連覇を成し遂げる
600万ドルともいわれる予算を投じて、ヘンリー2世はついにフェラーリをやっつけ、それからフォードは69年までル・マン4連覇を成し遂げます。ヘンリー2世はヨーロッパでフォードを成功させるためにル・マンに勝とうとしたといわれています。でも、本当にビジネスのためだけだったのでしょうか。
65年、アイアコッカはマスタングの大成功で社長に昇進、ヘンリー2世はクリスティーナと再婚します。ル・マンの会場にヘンリー2世とともに現れたクスティーナは、私はイタリア人だから、といってフェラーリのパドックを訪問し、フェラーリの勝利に1000ドル賭けたという逸話があります。ヘンリー2世としては悔しかったでしょう。
1966年は、クロード・ルルーシュ監督の「男と女」、ジョン・フランケンハイマー監督の「グラン・プリ」が公開された年でもあります。映画も自動車も19世紀末に発明されて、20世紀に大いに発展しました。1960年代はこのふたつの黄金時代だったというひともいます。
そういうわけで、『フォード vs フェラーリ』、機会があったら、ぜひ観てくださいね。そして、この歴史についてももっと知りたいひとは、原作となった『フォード vs フェラーリ 伝説のル・マン』(A・J・ベイム著/赤井邦彦 松島美恵子訳/祥伝社)を読んでみてください。さらに、この原作をもとにしたドキュメンタリー『24時間戦争』がアマゾンのプライムビデオで観られます。