ホンダ車に必要なのはやはり「オヤジ」の志
若いエンジニアの方向付けがホンダの明日を左右する
2011.8.2(火)
両角 岳彦
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2輪車の常識を変えた4気筒の「CB750」が登場する前、ホンダで最も速いバイクはこの「CB450」だった。そのエンジンの設計者は久米是志氏。少し後に設計したN360のエンジンはCB450のものと共通部分が多く、実際に一部の部品を流用することも可能だった。ほぼ平行して久米さんは当時のF2やF1のエンジンも描いていたのである。(photo:ホンダ、以下すべて)
ホンダが本格的に4輪の実用乗用車の世界に進出した第1作、N360(1967年登場)。当時としては斬新な「2BOX」フォルム、エンジン(下部にトランスミッションを一体化した2輪車的構造)を前に横置きした前輪駆動レイアウトだった。
ホンダが日本だけでなく世界に通用する「乗用車メーカー」へと発展する礎石を築いた初代シビック(1972年登場)。技術的にも水冷4気筒エンジン(やはり久米さん設計)とトランスミッションを同軸上に結合して横置きしたパワーパッケージ、前後ストラットのサスペンションなど、当時の小型乗用車の世界的潮流を取り込んでいた。アメリカが世界に先行した排出ガス規制にいち早く対応したCVCC(副室付き燃焼方式)の母体にもなったエンジンとクルマである。
シビックは大成功した初代の後、そのコンセプトを継承して拡大した形の2代目の存在感は薄かった。その低迷を破るべく、新しい世代の技術者、デザイナーたちが「ワイガヤ」を重ねて生み出した3代目(1983年登場)は、クルマとしてのキャラクターが明確に異なる4種類のモデルを同時に送り出し、ユーザーとマーケットに大きなインパクトを与えた。
初代「シティ」(1981年登場)では、コンパクトなサイズの中に十分な空間を組み立てるための「背高空間」をそのまま「トールボーイ」というキャッチコピーに、イギリスで人気が出てきていたマッドネスというバンドをフィーチャーした宣伝広告を組み合わせて、一気に浸透させた。実は論理的な製品企画をキャラクターとして認知させるのに成功した希有な例。
コンパクトカーであるシビックよりも大きく、4人の大人が無理なく乗って移動できる、という乗用車の「中核」を狙って生み出した「アコード」。これも初代がそのイメージを定着させた後、3代目(1985年登場)で大きく進化し、アメリカ市場におけるホンダの存在感を確立、今日に至るベストセリングカーの出発点となる。リトラクタブル・ヘッドランプが目を引き、4ドア乗用車としての空間設計はやや低めにまとめてはいるが、定石をしっかり押さえたものだった。
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