清少納言は零落していない?
ファーストサマーウイカが演じた清少納言は、高畑充希が演じた定子の没後、ほどなくして宮仕えを辞め、再婚相手とされる摂津守の藤原棟世の任国に下向した(丸山裕美子『清少納言と紫式部』)とも、定子の遺児である海津雪乃が演じた脩子内親王に仕えたなどとも考えられている(倉本一宏『平安時代の男の日記』)。
道長の日記『御堂関白記』寛仁元年(1017)3月11日条には、清少納言の兄・清原致信が「殺人の上手」源頼親によって殺害されたことが記されているが、この時、清少納言も同居していたとの説話が『古事談』にみられる。
清少納言には晩年、零落した生活を送った、あるいは地方を流浪したなどの没落説話も伝わるが、現在ではほぼ否定されているという(源顕兼 倉本一宏編『ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 古事談』)。
藤原棟世との間に生まれた娘が小馬命婦として彰子に仕えるなど、子どもたちが地位を得ており、兄弟も健在であったことから、定子の後宮に仕えていた頃ほどの華やかさはなかったかもしれないが、零落にはあたらないと考えられている(丸山裕美子『清少納言と紫式部』)。
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隆家と実資は?
「刀伊の入寇」での活躍で注目を集めた竜星涼が演じた藤原隆家は、長暦元年(1037)、59歳の時、再び大宰権帥に任じられ、長久2年(1041)まで、その任についていた(『国史大系 第53巻 新訂増補』所収『公卿補任』)。
だが、この時は現地に赴任しなかったようだ(倉本一宏『藤原伊周・隆家 ――禍福は糾へる纏のごとし――』。
長男・藤原良頼と二男・藤原経輔が公卿に上っている。
隆家は、37歳で亡くなった三浦翔平が演じた兄の藤原伊周よりも30年近く長命を保ち、寛徳元年(1044)1月1日に、66歳で死去した。
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ドラマでも人気が高かった秋山竜次が演じる藤原実資は、道長が存命中の治安元年(1021)、65歳の時に右大臣に上り、以後、永承元年(1046)に90歳で亡くなるまで、その地位にあり、「賢人右府」と称された。
頼通からの信頼も厚く、道長亡き後は、頼通と実資の二人三脚で政務を担ったという(倉本一宏『平安貴族とは何か 三つの日記で読む実像』)。
実資の日記『小右記』は、藤原宗忠の『中右記』、藤原定家の『明月記』とともに、三大古記録の一つに数えられている。